シュレーディンガーの猫

 にゃあ、と猫が鳴いた。
 白い猫だった。
 こちらを向いたその猫は、半分が白い毛並みで覆われ、もう半分は焼け焦げて炭になっていた。
 異様だった。
 半分生きて、半分死んでいる。
 俺が創ったんだろうか。
 近づいて持ち上げてみると、それはただの白い猫で、ちゃんと生きていた。
 いや、こんな世界で『ちゃんと生きている』というのもおかしいか。
 ここは虚構世界だ。人の創世した――人が神の世界。  俺の声に応えたのは七人。
 まぁ、俺も大概無茶ばかりやってきたが、さすがに世界を創る、なんてのは初めてだ。
 皆の助力がなけりゃ、失敗してたかもしれない。
 兎にも角にも、世界は出来た。――が、問題はこれからだ。
 まずは何から手をつけるべきか。
 そう思った時、腕の中で猫が鳴いた。
 見下ろすと、そこには白い毛並みの代わりに炭の塊があった。
 ぞっとしてそいつを投げ捨てる。
 途端、炭は白猫にすりかわる。
 生きたり死んだりする――猫。
「…なるほど」
 思わず呟いていた。口元に自然と笑みが浮かぶ。
 そうか。この世界は『シュレーディンガーの猫』だ。
 生と死が、確率で共存する世界。
 どうやらこの猫は、俺が創ったものではないらしい。紛れ込んできたイレギュラーだ。
 おそらく、バスの事故に巻き込まれたんだろう。今この猫は、現実世界の生死確率とリンクしてる。
 だから生きたり死んだりを繰り返す。
 この世界は、生きていて同時に死んでいる。生死は確率で決まり、だがまだ確定していない状態だ。
 確定するのは、――現実の蓋を開けた時。
 だったら、まだ色々と可能性はあるわけだ。
 全員が死ぬ可能性と、全員が生き残る可能性――それも要するに確率の問題だ。
 この世界にいる限りは。
 幸いにも、この世界の核となった俺以外は、まだこの世界で『成る』事が出来ないらしく、俺は一人だ。
 一人の内に、やるべき事はやっておいた方がいい。
 まずは、事後現場のシミュレーションだ。
 さぁ、俺たちはどうなる――?
 
          *
 
「よく来てくれた、諸君!」
「無駄に偉そうだな、てめぇは」
 せっかく笑顔で出迎えてやった俺に、真人が毒づく。
 まぁいいさ。
「ようこそ、と言いたい所だが、まずは最初に言っておくことがある」
 揃った七人の顔を見回し、俺は宣言した。
「俺たちは全員死ぬ。助かるのは理樹と鈴の二人だけだ」
 息を呑む気配が伝わってくる。そりゃそうだろう。こいつらは、俺の『まだ死ねない』という想いに呼応した。
 つまりは、死にたくないと思っているわけだ。
 諦めさせるには、――正面から一気に叩き潰す。完膚なきまでに。
 それが一番効果的だ。
「どうにもならない。これはどうにも出来ない事実だ。…誰かが悪いわけじゃない。ただ、それが真実なんだ」
 真摯に、諭すように、告げる。
「だが今のままだと、生き残った理樹と鈴も――死んでしまう。あいつらは弱すぎる。だから皆、協力してくれないか」
 集まった七人の面々に、異を唱える者は、ただの一人もいなかった。
 愛すべきお人好しっぷりだ。
 この世界のルールと目的を通達し、俺たちは解散した。
 明日から、眠っている理樹と鈴を起こして、この世界の最初の一日が始まる。
 理樹と鈴の為の、世界だ。
 一人になって、俺は大きく息を吐いた。
 どうやら、全員上手く騙せたらしい。我ながら反吐が出るほどの厚顔ぶりだ。
 生き残るのは二人だけ?それが事実だって?
 はっ。大嘘もいいトコだ。
 今のままだと、確実に全員が死ぬ。理樹も鈴も含めて、生存者は無しだ。
 事故現場のシミュレーション結果は、惨憺たるものだった。
 だが、道も見つけた。
 問題は、タンクの穴から溢れる燃料だ。アレをどうにかすれば、理樹と鈴だけでも助けられる。
 どうやって穴を塞ぐかは――これから考える。
 次に問題なのは、理樹と鈴の心の弱さだ。
 あの事故現場で、全員を見捨てて逃げられるだけの精神的強さが、あいつらにはない。
 理樹と鈴以外、唯の一人も助からない――そう思い込ませなければ、きっとあいつらは逃げられない。
 その弱さは、優しさと同義だ。
 だから、絶対に気付かせるな。
 誰にも気付かれるな。
 
 全員に、生還の確率が存在することなど――。
 
 誰に知られてもいけない。
 それは本当に、奇跡に等しい確率なんだ。
 失敗すれば、全員が死ぬ。
 致命的なのは理樹のナルコレプシーだ。だが、あの病は理樹の深い心の傷から派生している。
 こんな世界で、俺には治してやる事も出来ない。
 下手を打てば、生還させるどころか、理樹の心を壊す事にもなりかねない。
 そんな危ない橋は渡れない。
 例えそこに、全員の助かる可能性があるのだとしても、だ。
 一か八かの奇跡に賭けて、理樹と鈴の確実な生還をふいにするなど、もっての他だ。
 悪いな、皆。
 諦めてくれ。
 理樹と鈴――生き残るのはこの二人だけだ。俺の望みは、二人の確実な生還。
 その為なら何だってする。何だって利用する。
 ――全員の命も、利用する。
 全員を殺しても、あの二人は助ける。
 生き残れる確率なんて全て潰してやる。
 皆、希望なんて持つな。早く諦めろ。
 死を受け入れて、残された仮初の命と時間の全てを、二人のために使ってくれ。
 そうやって二人を強くしていく。色んなことを経験させていく。
 その間に俺は、あの燃料タンクの穴をふさぐ方法を見つける。
 何だ、展望が見えてきたじゃないか。
 目下の問題は――。
 腕組みした俺の足元で、にゃあ、と猫が鳴く。あの白猫だ。
「っと…何だ。いつの間にいたんだよ、お前」
 しかも、相変わらず生きたり死んだりと忙しい。
 ここは想いの叶う世界だ。俺以外の誰かの前に姿を見せてやれば、『生きている』と定義されるだろうに。
「――ふむ」
 もしかしてこの猫は、重要な手がかりじゃないか?
 半分死んで、半分生きている猫。
 ここでは思った事が本当になる。だから、誰かが思いさえすれば、生き続けることも死に続ける事も可能だ。
 想いの強さで存在は定義され、そして想いの強いほうが勝つ。それは俺すら例外じゃない。
 だが、俺はこの猫を知らない。こいつの生死を定義しない。だから白猫は揺らぐ。
 白猫が死んだり生きたりなんていう奇行を繰り返すのは、こいつに対する俺の認識が足りないからだ。
 白猫は、誰の想いにも守られず、現実世界の生死確率の影響をモロに受ける。
 ――考えろ。
 この猫は、現実とリンクしている。
 こいつの生死の鍵は、どこにある?
 誰が、握ってる?
 こいつは俺の前に現れた。
 俺の前で揺らいだ。
 なら――現実でこの白猫の生死を握っているのは、俺である可能性が高い。
 つまり、俺は現実で何かが出来て、その何かが白猫の生死を分ける、といった所か。
 これは重大なヒントだ。
 俺は、あのタンクの穴を塞ぐ事が出来るのか?そんなことが可能か?――おそらく可能だ。
 でなけば、この猫は死にづつけるはずだ。だが生きている。
 要するに、やはり確率の問題なのだ。
 問題は、この世界からどうやって現実とリンクするか、だ。
 これは探すしかない。
 出口探検か。中々面白そうじゃないか。
 とりあえず糸口は掴んだ。
「――お前には、感謝すべきだな」
 足元にじゃれ付く白猫を摘み上げる。よく見れば綺麗な猫だ。
 ――時々死んだりしなければ。
「名前をつけてやろうか」
 名前は大事だ。それでおそらく俺はこの猫を認識する。「生きている」と定義する。
 そうすればもう、こいつは生きたり死んだりを繰り返すこともない。
 ここでは、思ったもん勝ちだからな。
 さて、じゃあ名前は何にしようか。
 ふと、シュレーディンガーという名前が浮かんで、俺は苦笑する。
 それは余りにも露骨過ぎだろう。もう少し捻りが欲しい所だ。
 だから別の名前を考える。
 偽りの世界――うそつきの世界。
 この世界は、俺の一世一代の大ボラだ。
 それに相応しい名前なら――。
「レノン、でどうだ?」
 
 同意するように、にゃあ、とレノンが鳴いた。
 
 
 
 
 
 

あとがき
 長くて恭介が黒過ぎる…。
 でも、きっと本当に、みんなが生き残る可能性を知っていた気がします。
 ゲーム中の恭介視点のストーリーにて、皆が生き残れるよう頑張る理樹達を想像した時
 それはだめだ、と言うんですよね。そんな事不可能、じゃなく、それをしたら全てが無駄になる、と。
 もし、全員が助かる可能性があったとして、それを恭介が知っていたとしたら?
 それはとても難しくて、下手をすれば理樹も鈴も助からない。
 だったら、全員が助かる未来を望むのは、同時に、理樹と鈴の確実な生還を捨てる、という事になる。
 とか思ったら、このような話が出来ました。
 そりゃあ、倫理も人道も道徳も侵しまくってますよね…。でも私の中の恭介はこんな真っ黒い人。
 自分にとって大事なモノの為なら何でも出来るけど、それ以外には冷徹にもなれる。
 俺にはボランティアは出来ないとコマリちゃんにも言ってますしね。
 でも、それは彼の頭が尋常なじゃないほど良くて、全ての結論が見えちゃうから、
 こういう結果になっただけで、ちゃんと情には篤い人だと思います。
 だって皆のリーダーだもね!
 理樹と鈴への溺愛っぷりはちょっと異常だけどさ!
 
 シュレーディンガーの猫。古典物理の概念は、量子論に突入した途端崩壊…。
 

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