世界の涙

 宝物は何だと聞かれたら、俺の答えは二つ。
 一つは、幼い頃からずっと守ってきた、そしてこれからも見守っていく俺の大切な妹。
 一つは、出会った日からずっと欲しかった、そして最早手放せない俺の親友。
 二つの宝物は、どちらがどうなんて選べない程大事だ。
 それを守るためなら――俺は……。



 雨が降っていた。酷い雨だ。俺は、店の軒下で雨宿りがてら立っている。
 隣には、小毬がいる。
「恭介さん…」
「ん?」
「ごめんなさい――」
 ぽつりと消え入りそうな声で、小毬が謝った。
 どうしてお前が謝るんだ。それは俺の言葉だろう。
「何を謝るんだ」
「私はもう、ここにいちゃいけないのに…」
 この世界から出て行かなくちゃダメなのに、と続いた台詞に、俺はおかしくなって少しだけ笑う。
 出て行かなくてはいけない?…それは少し違う。本当は、この世界にいてくれた方が有り難い。
 精神がぼろぼろになろうがどうしようが、存在してくれるだけで、虚構世界の歯車として役立ってくれる。
 だがそれじゃあ、いつまで経ってもここは楽しく優しいだけで、あいつらは強くなれない。
 その為に、少しずつ人数を減らしてる。所謂背水の陣って奴だ。
 ま、確かにお前が残り続けていれば、それは逃げ道にはなるだろう。
 俺の意図を理解しているから、小毬は謝るのか。
「――残っているのは、鈴のためだろう?」
 こくり、と小毬が頷く。
「なら、俺が言う事は何もないさ」
 小毬は俺を見上げ、泣きそうに笑った。
「ありがとぉー…」
「――」
 そうか。これが――俺の罪か。
 小毬は、何度も心を壊して何度も狂う。俺がそうする。俺が仕掛ける。
 また同じ朝が始まって、彼女は乗り越えたはずの狂気を忘れて、また同じように狂い続ける。
 こんな事を繰り返していたら、本当に壊れるだろう。
 全員が、繰り返される過去の傷に限界を感じ始めて、だから俺の提案に乗ってきた。
”次の繰り返しから、一人ずつ…過去を乗り越えたものから、去る事”
 盤上の駒を動かすように皆を操作し続けた俺の、傲慢な提案に、けれど誰も異など唱えなかった。
 俺は――神か?いいや違う。俺は只の罪人だ。
 この世界には――神などいない。どんな祈りも届かない。
 ここを支配するのは、残忍な罪人ただ一人。
 なのになぜ、誰も糾弾しない?断罪しない?
 俺に、感謝なんかするな、小毬。
 頼むから、誰も……俺を許すな。
「恭介さん?」
「――ああ」
「恭介さんはぁ、やっぱりりんちゃんと似てますねぇ」
「鈴と?…そうか?」
「うん!――りんちゃんもね、時々…泣いてるのに、泣かないんだよぉ…」
「……」
 俺も鈴も――そう言えば、もうずっと長いこと、泣いていない気がする…。
 小毬がふと、顔を上げて前方を指差した。
「あー!りんちゃんと理樹くんだぁっ」
 雨の中に二つの傘。
 二人とも片手に傘を一つずつ持っていて。
 理樹と鈴は、俺達を見つけると、嬉しそうに破顔した。
 ああ――笑ってる。二人が…笑ってる。きっと近いうちに、もう二度と見られなくなる…俺の、宝物が。
 理樹は俺の前に、鈴は小毬の前に来て、それぞれが傘を差し出してくる。
 それを受け取って、けれど俺も小毬も、貰った傘を開いたりはしなかった。
 俺は理樹の傘へ、小毬は鈴の傘へ、軒下から飛び込むように入り込む。
「わっちょっと恭介!?」
「傘、俺が持つな」
「うわぁっこまりちゃん!?」
「えへへー!りんちゃんと一緒の傘だよぉー」
 嬉しそうな小毬の声が聞こえる。
 鈴は照れたように慌てて。
 俺の隣で理樹が、やっぱりこっちも慌てながら、だが嬉しそうに俺を見上げる。
「もう…せっかく傘持ってきたのに」
「たまにはいいだろ?」
 もう二度と、ないかもしれないんだ――。
 何も知らず、理樹は無邪気に笑う。
 何も知らず、鈴が小毬と笑い合う。
 ああ――こんな事は、もう二度とないかもしれないんだな…。
 終わりを決めたその日から、この世界は、まるで現実と同じになった。
 一日一日が、取り戻せない大切な時間になった。
 リセットの利く、まるでゲームのような世界は、もうない。
 現実と違うのは、未来が分かっているという点だ。時がくれば、絶対的な断絶が待っている。
 ――いや、人が必ず死に辿り着き、それもまた「分かっている未来」だとするなら、やっぱりこの世界は、現実の縮小なのだろう。
 俺達は今…多分本当に、生きているんだ…。
「恭介…?」
 理樹が俺の顔を覗き込む。
「どうした?」
「あ、うん…何か今、泣きそうに見えたから…」
「ははっ、何言ってるんだ」
「ごめん。変な事言っちゃったね」
「俺は、泣いたりしないさ」
 代わりに――世界が泣いてくれてるからな…。

 俺の隣で空を見上げた理樹は、まだ止みそうもないね、と屈託なく微笑んだ。


 宝物は何だと聞かれたら、俺の答えは二つ。
 一つは、幼い頃からずっと守ってきた、けれどこれからは一人で歩かせると決めた、俺の大切な妹。
 一つは、出会った日からずっと欲しかった、けれど今では俺が手を引かなくても大丈夫になった俺の親友。
 二つの宝物は、どちらがどうなんて選べない程大事だ。
 それを守るためなら――俺は……地獄で神だと嘯くことすら厭わない。
 
 
 
 
 

あとがき
 たまーに書きたくなるシリアスー。というか…大好きなサイト様が閉鎖なさったショックで生まれた…。

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