いつかの幸せを

 あの子は、いつか幸せになるの。いつか心の底から笑うのよ。
 いつか必ず――私が、そうするわ。
 
 
          *
 
 
 修学旅行の朝。
 けれど、同じバスに乗るべきあの子はいない。
 きっとあの下らないリトルバスターズとかいう連中と、一緒のバスに乗り込んだのね。
 私の立場というものを、あの子は分かっているのかしら。
 イラつきながら、私は携帯を取り出した。見慣れた番号を表示する。
 前半組はもう出発してしまっているから、呼び戻すという訳にもいかなかったけれど、それでも電話をかける。
 数度のコール音の後、繋がる。
「もしもし」
『……』
 無言。
 きっと、ひどく憎々しげな顔でもしているわね。
 通話口から、生徒たちのはしゃぐ声。その中に、小さく…”りき”という単語が聞こえた。
 そう。やっぱり、あなたの大好きな、リトルバスターズ達とご一緒という訳ね?
「何をしているの。…一体どこにいるのよ、貴方は」
 最近少し甘い顔をしすぎたようね。こんな勝手な行動をして…本家の人間に、また目を付けられるじゃない。
 電話の向こうで、きっと怒りに震えながらも萎縮しているあの子に、冷たく吐き捨てる。
「答えなさい。――葉留佳!」
 けれど、答えはないまま、ブツリと携帯が切れる。
 仕方ない。担任が来たら、生徒が一人いない事を報告しないといけないわね。
 けれど――。
 待っても待っても、担任は乗り込んで来なかった。
 中々出発しないバス。
 クラスメイトの私語が五月蠅くて、私は携帯を持ったまま、一人バスを降りる。
 様子見も兼ねて、職員室へ向かう事にした。その途中何度か携帯を掛ける。けれど繋がらない。
 切っているという訳?それとも私からの電話には出ないつもり?
 何て子。
 その時不意に――。
 
” おねえちゃん… ”
 
 泣くような縋るような、助けを求める声が…聞こえたような。――そんな訳がない。
 気のせいだと思った。
 だって、あの子はここにはいない。それに――もうそんな風に、私を呼んだりしないもの。
 私は、三枝葉留佳がいない事を報告するために、職員室に向かう。
 途中、慌ただしく横を通り過ぎる数人の教師とすれ違う。
 血相を変えた様子を怪訝に思いながら、辿り着いた扉を開く。
 溢れてきたのは、いつもと違うざわめき。騒然とした室内。誰も私の事など眼にも入っていないようだった。
 やがて――「バスが事故に遭った」と口走る教師の声を、聞いてしまった。
 崖から転落した…と。
 
 あの子の乗った、バスだった。
 
 何度掛けても繋がらない携帯。
 ああ、そう…そういう事―――。
 電話番号が表示されたままの液晶画面を見やって、無意識にコールボタンを押す。
 鳴り続ける呼び出し音。いつまでも。
 あの子は出ない。
 やがて、留守番電話サービスの無機質な声を発する携帯が、私の手から滑り落ちていった。
 
 
 
 誰も、守ってくれない。
 私もあの子も、誰も守ってくれなかった。守ってくれる人などいなかった。
 だったら、私が、あの子を守らなきゃ。
 ”間引く”――それが何を意味するのか、子供だった私にも分かった。
 殺される、と思った。
 けれど、”間引かれる”事と、”選ばれる”事――本当の恐怖はどちらだろう…?
 ああ、守らなきゃ。
 こんな恐怖を、あの子には――。
 私が、あの子を守るのよ。だって…『おねえちゃん』だもの…。
 間引かせないし、選ばせない。
 その為なら、何だってやってやるわよ。
 あの子に死ぬほど憎まれたって良い。いいえ、寧ろ憎めばいい。殺したいほど憎めばいいわ。
 その方が、私もやり易い。
 私はあの子を地獄へ突き落す。本家の意に沿って、あの子をまるで虫けらの様に、汚物のように蔑み、罵倒する。
 誰よりも大切な――私の妹を。
 本家での処遇より何より、私が一番辛かったのは、あの子の――辛そうな顔。
 だけど、いいわ。私の事なんかどうでもいいのよ。
 涙?…そんなもの、とっくの昔に涸れたわよ。
 だって、泣いたってどうにもならないもの。何も解決しない。誰も助けてくれない。
 だから私は、冷たく硬い仮面を身につけた。あの子はとても危険な立場にいる。
 あの子に笑って欲しくても、子供の浅知恵じゃ、裏目に出る事ばかり。
 だからあの子を守るために私が出来る唯一の方法――それが、蔑んで罵倒して、「選ばれるべき人間じゃない」と辺りに知らしめる事だった。
 あの子は、私の足元にも及ばない。
 私を脅かすことなど絶対にない。
 出来損ないの落ちこぼれ。
 間引くリスクを冒す価値もない――そう、思わせる。
 ”おねえちゃん”
 最後にあの子がそう呼んでくれたのは、いつだったかしら。
 あの子が私に笑顔を見せてくれたのは、いつだった…?
 ――別に、どうでもいいわね。
 私が選ばれさえすれば――この弱い身が、あの薄汚い本家の連中の上に立つ日が来たら、全て終わるのだから。
 あの子を、解放する。誰にも文句なんか言わせない。そして私は、あの醜悪な家で、一生を過ごす。
 それが、あの子が自由な空の下で笑うための代償だというなら、安い位よ。
 だから―――私はあの子を傷つけた。
 私の事なんか嫌いになればいい。憎めばいい。――貴方がいつか去る時、心の片隅にすら残らないように。
 全て、何の未練もなく捨てて行きなさい。そして目指せばいい。
 その先にある、いつかの幸せを。
 そう…”いつかの幸せ”。
 そんなものがあると――私は本気で信じていたのよ。
 ああ滑稽ね。なんて甘い幻想かしら。
 本家さえ押さえておけばそれで、…いつかのその日まで、あの子は、大丈夫だと。
 生きていてさえくれれば、それで十分だった。
 他には何も望まなかった。
 見もしない”いつかの幸せ”――唯それだけを目指した。
 今のあの子の幸せも、今のあの子の笑顔も、喜びも、全部全部踏み躙って穢して、台無しにして。
 全て奪って――。
 それでも…生きていてさえくれれば、唯それだけで良かったのに。



 どうやって廊下を歩いたのか、記憶はない。
 気付けば私は、あのリトルバスターズとかいう連中の教室に立っていた。
 誰もいない。
 でも――ここでは、あの子も笑っていた。笑っていたのに。
 ねぇ…誰か教えて。誰か答えて。
 もし――目指していた”いつか”が、永遠に来ないのだとしたら。
 そうだとしたら、私は……何の為に―――何の為にあの子をっ…!

” おねえちゃん… ”

 声が、した。
 もはや私はそれを気のせいだとは思わない。目を瞑って声を手繰り寄せる。
 けれど、糸のように細い声の残滓は忽ち消えていく。
 掴めない。どうして。消える――!
 ――葉留佳っ…!
 心の中で絶叫した。その瞬間だった。

           ” 会いたいか ”

 不意に誰かが、そう言った。

           ” 三枝葉留佳に、会わせてやろうか…? ”

 甘い誘惑。それは悪魔の声か。
 けれど私は躊躇なくその声に縋った。

 会いたいわ。

           ” 俺達に――協力するか? ”

 代償が必要という訳ね。ああ、やっぱり悪魔だ。けれど、だから何だというの?
 もう一度あの子と会わせてくれるというなら、悪魔だろうが神だろうが構わない。

 いいわ。協力しましょう。

           ” 三枝に優しくは出来ないぜ? ”

 ……今更よ。
 私はただ、もう一度会いたいだけ…。

           ” なら、お前も来るといい。
           それほど守りたい者がいるなら、想いが共鳴するだろう…。 ”

 その言葉を聞いた時、気が付いた。
 この悪魔は、私と似ているかもしれない、と。
 私も葉留佳も、きっとこの悪魔は利用する。己の守りたい者の為に。
 だけど私もこいつを利用しようというのだから、お互い様ね。
 この悪魔の守りたい者が、葉留佳だったらいい。そのために私を利用するなら、いい。
 けれどもしそうじゃないなら、私はきっと、悪魔の”守りたい者”を憎むでしょう。
 きっと――嫌いになる。
 
 だって…私達にはもう届かない――遥か彼方になってしまった”いつかの幸せ”を、その誰かは、手に入れるだろうから…。


 
 
 
 
 

あとがき
 取り敢えず、葉留佳と佳奈多って同じクラス?そんでもって葉留佳はリトバスメンバーと同じバスに乗ってそう。
 佳奈多を呼び込んだのは、葉留佳に必要だと判断した、恭介の仕業っぽい?
 といった考察結果…。うーん、葉留佳編やり直せばよかったな…。ちょっと裏覚えの箇所が多そうです…。
 故に、考察というより、単なる妄想ssになってしまいました…!
 佳奈多と恭介の違いは、「幸せ」への嫉妬かな、と思います…。

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