繋ぐ手

 小さな足音が、俺の後ろから付いて来る。それが時折小走りになるのは、歩幅が違うせいだろう。
 俺は歩調を緩めて足音が追いつくのを待つ。それは斜め後ろを定位置に、再び俺達は並んで歩き出す。
 黙って歩く。
 空が蒼い。心地いい風が吹く。
 ――ああ、いい天気だ。
 そう思ったら、不意に声が聞きたくなった。
「なぁ」
「ん?」
 背中から、声。
「どうしたの?恭介」
「いや…。もう少しゆっくり行くか」
 声が聞きたかっただけだとは言えず、俺は曖昧に誤魔化した。
 どうしようもなく愛しい、幼かった日々が、頭を過ぎる。
 なぁ理樹、覚えてるか?五人で一緒に騒いだあの馬鹿みたいな日常を。
 樹に登ったり、近所の猛犬相手に立ち回ったり。
 二人だけで夜の廃屋に忍び込んだ時は、お前はずっと俺の後ろに隠れてたっけ。その内怖がって泣き出して。
 俺はずっと、その手を引いて。
「なぁ理樹」
 立ち止まって、俺は後ろを振り返る。
 不思議そうにこっちを見上げる理樹に、手を差し出した。
「手、繋ぐか」
「え…え?繋ぐって…」
 理樹は、戸惑うように俺の顔と手を交互に見比べる。そして、まるで少女のように頬を薄紅色に染めた。
「と、突然だね」
「嫌か」
「嫌な訳ないよっ」
 大きく首を振って否定すると、理樹は、おずおずと右手を伸ばしてきた。
 小さな手。
 俺よりもずっと小さくて、細くて、力を入れたら折れそうだ。
 けれどその手をしっかりと掴む。
「恭介…?」
「――」
 この小さな手が、俺を救い上げた。
 お前が、皆を救ったんだ。
 ずっと繋いできた手だった。それはもう、俺の一部のように。お前と手を繋ぐことは、俺の当たり前だった。
 昔からずっと続いてきたから、未来へもずっと続くと信じていた。
 過去からの延長線が明日だと。
 けど――そうじゃなかった。
 昨日からの続きは、明日にも続くわけじゃない。
 当たり前になりすぎて、手を離すなんて予想すらしてなくて。だから、お前の手を離さなきゃいけなくなって、俺は初めて思った。
 お前の手を、離したくない――と。
 手を離したとき、まるで心が引き裂かれるようだった。お前の手を掴みたいと思った。何度も何度も。
 その度に、歯を食い縛って耐えたんだ。
 あの時は――あの世界では、多分それが正しかった。
 お前の手を離そうとしながら、俺は結局、ずっと手を繋いだまま、世界を繰り返し続けた。
 鈴が壊れるまで――俺は、本当の意味でお前の手を離さなかった。
 離せなかったんだ。
「ね、恭介。どうしたの…?」
 心配そうに覗き込む瞳が、愛しい。
 お前が手を差し伸べてくれた時――もうその手を掴んでいいのかと思った時に、気が付いた。
 俺は、お前の手を引いていたんじゃない。
 俺が――お前と手を繋ぎたかったんだ。
「理樹、俺はもう決めた」
「決めたって…何を?」
 首を傾げるその仕草も、俺を見上げるその瞳も、声も、手も、全部が愛しい。
 どうしようもなく――想いが溢れる。
 もう、いいんだよな。
 もう俺は、お前と手を繋いで、いいんだ…。
 だったら、俺は誓う。
 全てを守り通す強さで誓う。
 
「この手を――俺は、もう二度と離さない」
 
 宣誓するように告げて。
 俺は、理樹の指に唇を落とした。
 一瞬怯えた様に、理樹がびくりと肩を揺らす。
 そして、
「ば、馬鹿な事言わないでよ」
「そうか?」
「そうだよっ!…大体それ、こっちの台詞だからね?」
 理樹は、頬を赤く染めながら、怒ったように俺を見上げていた。繋いだ理樹の手に、力が篭る。
「恭介より僕の方が先にそう思ったのに…。ず、ずるいよ。これじゃまた、僕が後を追っかけてるみたいじゃないか」
「は、はははっ!そっか」
「笑うトコじゃないからね!?」
「何だよ、怒るなって」
 膨れた頬を突付いてやれば、理樹はむくれてつつも、やがて一緒に笑い出す。
 ああ、何だ。
 そうか、そうだったのか。
 俺達は、初めて会ったその日から、ずっと心が寄り添い続けてる。
 俺とお前は、同じものを見て同じものを感じる。共感する――共鳴する。魂と魂が。
 手を繋がないなんていう方が、無理だったんだ。
 
 だったら、なぁ理樹。
 俺達は、ずっと手を繋いで生きていこうか――。
 
 
 
 
 
 

あとがき
 たまには、こーゆーまったりな話も。


<<BACK △topページに戻る。△