あかぺんぎんちゃんとぐりずるさん。

 昔々ある所に、あかぺんぎんちゃんがいました。
 あかぺんぎんちゃんが森を歩いていると、ぐりずるさんと出会い――。
 そして……。
 
 
          *
 
 
 ガサガサと、生い茂る草を小さな足がかき分ける。
「どうしよう…迷っちゃった…!」
 腕にバスケットを抱えたまま、泣きそうな顔で森の中を駆けずり回る子供が一人。
 森の外れの来ヶ谷孤児院に住む、直枝理樹六歳である。
 近くの村へ買い物を頼まれたその帰り、ちょっとだけと思って森の中を散策したのがいけなかった。
 ウサギやチョウを追いかけている内に道を外れ、ふと気付けば、すっかり森の奥へ。
”森の奥には、恐ろしい人食い熊の化け物『ぐりずる』がいて、小さい子供なんか丸飲みにしてしまう――”
 日頃聞かされている来ヶ谷院長の言葉を思い出すと、理樹の足はカタカタ震える始末。
 ――どうしようっ…どうしようっ…!
 頭上には最早月まで昇っていたが、行けども行けども理樹の視界から木立が消える気配はない。
 あっちもこっちも同じ景色ばかりで、ちょっと立ち止まればもう、自分の進んできた道さえ分からなくなってしまう。
 その上、暗くなった辺りの茂みからは、いつ何が飛び出してもおかしくないような不気味さが漂っている。
 ガサリと葉っぱが揺れる度に心臓を跳ねさせながら、理樹はひたすら走る。
 ――大丈夫。きっと、風とかリスとか、夜更かしのウサギさんとかだからっ。
 自分に言い聞かせているうちに、足下が疎かになって、木の根に躓いた。
 理樹はそのまま盛大にすっ転ぶ。痛い。
「うぅ…いたい…」
 転んだ拍子にバスケットの蓋が開いて、中身が飛び出していた。転がる果物を慌てて拾ってバスケットに詰め直す。
「ええと…リンゴが四つと…みかんが――あれ、一個足りない…」
 辺りを見回すと、すぐ傍の木の根元に、オレンジ色の果物がちょこんと落ちていた。
「よかった…足りないと、来ヶ谷さんにお仕置きされちゃうよ…」
 這って行って、それを取ろうと手を伸ばした瞬間――木が、みかんを掴み取った。
「美味そうだな」
 みかんを持ったまま、木がそう呟く。
 良く目を凝らすと、木だと思っていたのは――何やら足のように見えた。
 理樹は、恐る恐る視線を上げていく。
 逆光の暗い影の中で、弧を描く唇の間から白い犬歯がちらりと覗くのを見て、ひっと息を飲んだ。
 ――小さな子どもなんて丸飲みにする、『ぐりずる』!?
 そういえば今、「うまそう」って言ったよね!?
「お、おいしくないからっ…!」
「そっか?美味そうだけどな…。なぁ、これ俺が貰っても――っておい!?」
 『ぐりずる』の言葉など最後まで聞かず、理樹はバスケットを掴んで全速力で走り出す。
 ――どうしようどうしようどうしようっ…!?捕まったらきっと食べられちゃうんだっ…!
 逃げなきゃ逃げなきゃっ!
「おいっ待てって!」
「僕おいしくないからーーーっ!」
「何言ってんだお前っ」
「みかんならあげるから付いて来ないでよぉぉっ!うわぁぁーーんっ丸飲みなんてやだぁぁっ!」
「話聞けって!おいっそっちは――!」
 焦ったような『ぐりずる』の声が聞こえたが、今の理樹にその理由を考える余裕などない。
 全速力で走って走って―――不意に森が割れて、視界が開けた。
 目の前には星空と地平線。
 飛び出した場所は、切り立った崖の淵。
 ふわり、と身体が浮くような感覚。
「――!!」
 悲鳴を上げる暇すらなく、落下――するはずだった。
 だが、突然ぐんっと上に引っ張られる。
「………?」
 誰かが、自分の手首を掴んでくれている事に気付いて、理樹はそうっと顔を上げる。
 恐ろしいはずの『ぐりずる』が、崖の淵から半ば身を乗り出すようにして、理樹の手を掴んでいた。
 間近に見上げた顔はひどく苦しそうで、このままでは『ぐりずる』まで一緒に落ちてしまいそうだ。
 ――どうしよう…どうすればっ…!
「大丈夫だ」
「え…」
「絶対助ける。だから大丈夫だ。俺を信じろ」
 そう言って、二っと笑った顔は自信に溢れ――理樹が今まで見た誰よりも、頼もしかった。
「俺の言う通りにできるな?」
「うんっ…」
「よし、イイ子だ。両手でしっかり俺の手に掴まれ。バスケットは腕に通して――そうだ」
 理樹は、言われた通りに自分を助けてくれた手を掴む。
「よし。――上げるぞ」
「う…わっ…!」
 ぐいっと勢いよく上へ、まるで放り投げるように引っ張られる。一瞬後には、理樹は崖の上にいた。
 地面から身を起こした『ぐりずる』が振り返る。
「大丈夫か?」
「う、うん」
「そっか。良かった」
 屈託なく笑う顔。月明かりの下で見た恐ろしい人食い熊の化け物は――全然怖くなどなかった。
 むしろとてもきれいな顔をしていて。
 優しくて、強くて、頼もしくて――格好よくて、まるでヒーローみたいだ。
 理樹は、すっかりこの『ぐりずる』の事が大好きになっていた。
「あのね、えっと…ありがとう」
「どういたしまして。――それにしてもお前、こんな夜中にどうして森の奥なんかにいたんだ。――迷子か」
「…うん…」
 その言葉に、理樹は力無く頷く。こんなに迷ってしまって、もう家には着けないのではないかと思うと、途端に不安と寂しさが押し寄せる。
「僕…もうお家に帰れないのかな…」
「大丈夫だ」
「え…」
「俺が連れて行ってやるよ」
「ほ、ほんと!?」
「ああ。――俺に任せろ」
 その自信に満ちた笑顔に、理樹は忽ち安心した。
 『ぐりずる』と一緒にいれば、きっと何も怖い事など無いに違いない。
 そういえば、『ぐりずる』はどうしてこんな所にいたのだろう?
 ――僕と同じ、迷子かな?
 ふとそんな事を思って理樹は『ぐりずる』を見上げた。
「えっと、ぐりずるさんは、どうしてこんな所にいたの?」
「ぐりずる…!?」
 ひどく驚いたように目を丸くして理樹を見た後、『ぐりずる』は大きく笑い出す。
「そっか『ぐりずる』か!はははっ!まいったなぁ…そんな怖いか?俺」
「ううん!最初は怖かったけど、今は全然!だってすっごく優しくて、頼もしくて、格好いいよ!」
「――そっか。格好いいか」
「うんっ」
「そこまで素直に言われると照れるな…。お前の名前は?」
「僕?僕は直枝理樹!」
「そっか。俺は恭介だ。棗恭介。因みに、『ぐりずる』じゃなくてれっきとした人間だ」
 律儀に訂正してから、恭介は理樹に手を差し出す。
「俺のことは恭介お兄ちゃん、でいいぞ?じゃ…宜しくな、理樹」
 目の前の大きくしなやかな手を見つめ、理樹はおずおずとそれに自分の手を重ねた。
「えっと、恭介…お兄ちゃん?」
「ぐはっ…」
「?どうしたの…?恭介おにいちゃん…」
「がはっ…!」
「だ、大丈夫っ?恭介おにいちゃ…」
「わ、分かった!その、何だ。――恭介、でいい」
「??う、ん。分かったよ。じゃぁ……恭介」
「ああ」
 優しく目を細めて見下ろしてくるその笑顔に、理樹はすっかり嬉しくなってしまう。
「さて、と。じゃあ家に帰ろうな」
 そう言うと、恭介は理樹の身体をひょいと抱き上げた。
「うわぁっ!?」
「で、家は何処だ?」
「えっとね、来ヶ谷孤児院って所なんだけど」
「――マジか…!」
 恭介は一瞬瞠目し、それから明るく笑った。
「何だ、じゃあ俺と同じだな」
「恭介も来ヶ谷孤児院に来るの?」
「妹に書類を取りに来るよう頼まれてな。三日以内に街の役所に届けないといけないらしいんだが」
「恭介の妹…?」
 呟いて、理樹は大きな黒瞳をまん丸にした。
「もしかして…鈴!?」
「何だ、知ってるのか」
「うんっ。棗鈴先生だよね?あ、でも先生って言うと怒るから、鈴って呼んでるけど」
「まぁ…ボランティアだから、先生じゃないしな。――鈴とは、仲いいのか?」
 その後も、来ヶ谷院長の話や、他のボランティアの人の話など、理樹はとめどなく恭介と話し続けた。
 あんなに怖かった暗闇も全く気にならなず、それは時間を忘れるほど楽しかった。
 やがて、見覚えのある道に出て、帰るべき家が近づいて来るにつれ――理樹は急に淋しくなった。
 家に着いて、用事が済んだら……恭介はきっと、さよならしてしまう。
 それは……なんだかとても淋しくて、哀しい。
 理樹は、思わず恭介の首にきゅっとしがみつく。
「どうした、理樹?」
「恭介は…帰っちゃうの…?」
「俺か?まぁ、街に届ける書類を取りにきただけだからな。書類を預かったら街に戻るさ」
「や、やだっ…!」
「ん?」
 怪訝そうに首を傾げる恭介に、理樹は益々しがみつく。
 こんな我侭、誰にも言った事などない。けれど――。
「ぼ、僕っ……恭介と、ずっと一緒にいたい…!」
 思わず口走っていた。
 理樹の言葉に恭介は目を瞬かせ、それからあやす様に小さな背中を叩いた。
「俺と一緒に、か?」
「うんっ…」
「そりゃまた、随分と嬉しい事言ってくれるな…。けど――」
 語尾に続いたのは逆接詞で、それを聞いた理樹は、途端に項垂れてしまう。
 ――やっぱり、そうだよね…。
 理樹は幼く世間知らずではあったけれど、聡い子供でもあった。
 だから、我儘を言った己をすぐに恥じ入って、それから物分かりよく微笑もうとする。
「ご、ごめんなさい…。あのね、今の冗談だから――」
「――何だ、冗談なのか?」
「う、うん…」
「そうか。…残念だな。俺も、理樹とずっと一緒にいたかったんだが」
「え?」
 何を言われたのか分からなくて、きょとんと零れおちそうに理樹の瞳が見開かれる。
 恭介は、理樹の小さな身体を抱き締めながら、目を細めてそっと囁いた。
「書類を届けに一度は街に戻るが、――それが終わったら、またここに来ようと思ったんだけどな?」
「ほ、ホントにっ!?」
「ああ。マジだ」
「恭介っ…!」
 喜びに、理樹の頬がぽうっと赤く染まっていく。
「ま、俺は仕事もあるし、距離が距離だから毎日ってわけにはいかないけどな」
「うんっうん!」
「だから、何ならそのうち、俺の家に泊まりに来ればいい」
「!い、いいのっ…!?」
「もちろんだ」
 微笑む恭介に、理樹はどう自分の喜びを伝えればいいのか分からず、結局はその首に再び抱きついたのだった。
 
 
 やがて、来ヶ谷孤児院の外観が見えてきた所で、遠くから声がした。
「理樹っ!」
 大分向こうから、ちりんと音をさせながら、人影が走ってくる。
「あ、鈴だ!」
 理樹は恭介に抱き上げられたまま、手を振った。鈴は凄い形相で走って来る。
 そして、
「馬鹿兄貴っ理樹に何をしたんだっ!」
「何もしてねぇっ!」
 謂れのない疑いに、恭介は思わず声を張り上げた。
 だが鈴は聞いていない。恭介の手から半ば無理やり理樹を奪い取る。
「大丈夫か、理樹っ」
「うん!」
「こいつに変な事とかされなかったろうな!?」
「……お前、兄を何だと思ってる…」
 妹からのあまりの信用のなさに、恭介は額に一筋汗を垂らす。そんな恭介を、だが理樹は絶大な信頼の目で見上げる。
 疑い深気な鈴の袖を引っ張って、嬉しそうに報告した。
「あのねっ恭介に助けてもらったんだ!」
「……きょーすけにか」
「うんっ!迷子になって崖から落ちそうになった所を助けてもらって、それから、ここまで連れてきてくれたのも恭介だよ」
「そ、そうか…それならいい」
 理樹の言葉を信用し、鈴は一つ頷くと建物を指さす。
「とりあえずは先に戻ってろ。今こまりちゃんがあったかいミルクを作ってくれてる。まだくるがやは帰ってきてないから、それ飲んだら寝てていい」
「来ヶ谷さん、いないの?」
「お前を探しに行って、まだ戻ってきてない」
 そのセリフに、理樹の表情が忽ち曇る。
「どうしよう…凄い迷惑かけちゃった…」
「そんな事ないぞ。迷惑なんて誰も思ってない。ただ、皆お前が心配なだけだ」
 真っ正直な鈴の言葉に、理樹はちょっと恥ずかしそうに頬を染めて、こくんと頷いた。それから、恭介を振り返る。
「恭介は、すぐ戻っちゃうの?」
「ああ。じゃないと間に合わないからな。鈴、役所に出す書類ってのを持ってきてくれ」
 そう告げた恭介を、鈴は宇宙人でも見るように、難しい顔で眺め、次いではっと目を大きくした。
「……おまえ、まさか…徒歩か!?」
「ああ」
 さも当然とばかりに恭介が頷くと、鈴は今度こそ目を丸くして叫んだ。
「こいつ馬鹿だ!」
「兄になんて事言うんだ、お前は」
「だって、唯一車の免許持ってるのはおまえだけだから、それでわざわざおまえに頼んだのにっ…徒歩だったら誰でも同じだろっ」
「いや、それは違うな」
 ふっ、と恭介は不敵に笑う。
「俺以外に、一日で徒歩で街からここまでこれる奴はいないっ!」
「確かにそんな馬鹿お前だけだ」
 鈴は冷静に頷いた。
「分かった、じゃあ取って来る。理樹、一緒に戻ろう」
「ん…」
 鈴に手を引かれながら、理樹は、何度も恭介を振り返り、建物に戻って行く。
 寂しいけれど、これは一時の別れだ。
 恭介はまた会いにきてくれると言っていたし、あの人は、絶対約束を違えたりはしない。だから大丈夫。
 また恭介が来てくれるのを、ずっと待っていればいいんだ…!
 
 
          *
 
 
 その翌日、理樹の元を訪れたのは来ヶ谷だった。起きたばかりの理樹の前に跪く。
「少年っ!怪我はないか?崖から落ちたと鈴君に聞いたがっ…」
「大丈夫だよ」
「――そのようだな…」
 拍子抜けしたように呟く来ヶ谷に、理樹はぱっと顔を輝かせる。
「あのねっ助けて貰ったんだっ!」
「ああ、棗兄だろう?話なら聞いている―――」
「あのね、あのねっ!恭介すごいんだよっ!すっごい優しくって、頼もしくて、力もあって、カッコよくてね…それからそれからっ…!」
 嬉しそうに恭介を褒め千切る理樹を見遣り、来ヶ谷は難しい顔になる。
「ふ、む…こいつは、崖から落ちたというより――」
 
 
         *
 
 
 昔々ある所に、あかぺんぎんちゃんがいました。
 あかぺんぎんちゃんが森を歩いていると、ぐりずるさんと出会い――。
 そして……。
 
 ―――恋に落ちてしまいましたとさ。
 
 
 
 
 
 

あとがき
 何書いてんだ俺っ…(汗)サタデーナイトフィーバー恐るべしっ…!
 や、なんか子理樹可愛いなーとか思ってたら変なパラレル話が…。
 理樹が一番小さくて、クドと葉留佳がちょっと上。たぶん真人と謙吾辺りは小学校高学年な感じですかね(笑)。
 小毬は鈴と同じくボランティア。でもって西園さんは…副院長先生(笑)。子理樹が書きたくなったらまた手を出すかもしれませんが…今の所はなぞっ!

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