狼少年

「理樹。――俺とやらないか」
「――」
 直枝理樹は、唐突な爆弾発言の主である、目の前の端正な顔を無言で見つめ返した。
 幼い頃からの憧れのヒーロー棗恭介という男は、しばしばこうした爆弾を投下するのが得意だった。
 今現在、もしこの場に所謂少年愛に興味のある女子でもいようものなら、涙を流さんばかりに身悶え悦び、明日にはとんでもない噂が飛び交っている事だろう。
 だがその一方彼の場合、こうした発言に於いては、何の裏も深読みも隠されていないのがセオリーである。
 理樹は一瞬動揺したものの、今までの経験から、すぐにその焦りは不必要なものと判断する。
 いつもなら心臓が跳ね上がってしまう所だが、恭介は、そんな理樹の反応など分かりもしない。
 ならば、いつもうろたえてばかり、というのも損な話だろう。そう至った理樹は、頬を染める代わりに苦笑を浮かべた。
「うん、いいよ。――で、何するの?また新しい遊び?」
「――」
 答えた理樹に、今度は恭介が無言となる。やがて彼は、珍しくも困ったような顔で、頭の後ろを掻いた。
「…参ったな…。西園の言った通りになっちまった…」
「西園さんがどうかしたの?」
 その名に理樹が反応を示すと、恭介は更に困った表情を作る。
「ああ、いや――。…狼少年の話、知ってるか?」
「そりゃまぁ、一応はね」
 嘘ばかり吐いていたら、本当の事を言っても信用されなかった、という実にポピュラーな童話だ。
 本好きの西園と童話は直ぐに結びつく。だが、その話題が恭介の口からのぼる経緯とは結び付かなかった。
「狼少年がどうかした?」
 純粋に疑問を投げ掛ける理樹。恭介はと言えば、それにダメージを受けるが如く、落ち込んでいく。
「ちょっと恭介?…西園さんに何か言われたの?」
「なんつーか…ちょっとした忠告をな」
「どんな」
「――”本当は分かってるのに、分からない振りで誤魔化し続けていると、自分が本気で言った時に信用されませんよ”ってな」
「?…ここでそれが出てくる意味が良く分からないんだけど」
「まぁ…そうだよな。それが当然だわな」
 どこか遠い目で、恭介が哀愁漂う溜息を吐く。他人の前での嘆息など珍しい事だった。
 ―― 一体何があったんだろう…?
 流石に気になって、理樹は恭介の顔を伺い見る。
「恭介…?」
「――理樹」
 いつもより若干低めの声音と共に、ひたり、と真摯な眼差しが理樹を捉える。そして開かれた薄い唇から、短い告白が吐き出された。
「好きだぜ」
「っ…!」
 簡潔な一言。これには理樹も瞠目し、さっとその頬に朱が散る。だが、それはまたしても苦笑に取って代わられる。
「も、もう…今度は何さ。また頼み事?あんまり面倒なのは勘弁してよね」
 恭介の言葉には別の意味で裏がある、という事を、理樹は良く知っていた。
 こんな風に言う時は、大抵何かしらの面倒事や頼み事がある時と相場が決まっている――良く出来た幼馴染は、いつも通り「仕方ない」といった笑みを浮かべるばかり。
 その視線を受け、たじろいだのは恭介である。
「…理樹。俺は、お前が好きなんだが」
「だ、だからそれはもういいよっ。――それで?一体何なのさ」
「あー……いや、だからな」
「あのさ、別に大変そうだからって断ったりしないよ?だから言いなよ」
 歯切れの悪い恭介に、余程言いにくい用件と勘違いした理樹は、深く考えもせずにそう促した。
 不用意な台詞に恭介が僅かに目を眇めたが、不穏な空気は一瞬で、理樹がそれに気付く事はなかった。
 恭介が、脳内で構築される卑怯な算段と己が良識とに迷ったのは僅か。
 元より――良識など気にしていたら、こんな告白などするはずがなかった。今更卑怯だろうが何だろうが構うものか。
「――断ったりしないか?」
 恭介は一切の表情を消し、まるで言質を取るように理樹に詰め寄る。
 その様子を、理樹は怪訝に思いはしたものの疑惑までは抱かず、あっさりと頷く。
「うん、しないよ」
「絶対か。約束するか?」
「もう、さっきから何なのさ。いいよ、約束するよ。絶対断らない」
「――そっか。…じゃあ、言うぞ」
「うん」
「理樹。――俺とやらないか」
「――」
 理樹の大きな黒瞳が、きょとんと丸くなる。ややしてからその眉が顰められ、どうやら言葉の意味を吟味し始めたようだった。
 顎に指を当て、深刻そうに悩む理樹の返答を、こちらも真剣に待つ恭介。
 悩んだ挙句、理樹から戸惑いの滲んだ声が発せられる。
「えっと……野球盤?」
「いや、違う」
 恐らくは理樹の中の最有力候補を即座に否定され、その顔には益々困惑が広がっていく。
「じゃあ…双六」
「それも違う」
「……人生ゲーム?あ、トランプとか?もしくはまたどっかの野球チームと試合とか。幼稚園の演物とか公園のゴミ拾いとか」
「いや。全部違うな」
「――じゃあ、一体何するのさ」
「…まず、最初が『セ』で始まる」
「せ…」
「で、最後が『ス』で終わる。でもって四文字くらいだな」
「???」
 これだけヒントを出しても、到底思いつかない、といった理樹の態度に、恭介は少しばかり考え込んでから、手招きした。
「ちょっと耳貸せ」
「え、うん…」
 ぐっと理樹の肩を引き寄せ、華奢な身体を柔らかく腕の中に閉じ込めて、耳元へと顔を寄せる。
 触れた耳朶に唇を押しつけるようにして、――そして低く、その一言だけを耳に落とす。
「――」
 途端、びくり、と理樹の身体が跳ね上がった。
 恭介の目の前で、見る間に耳が真っ赤に染まり、次いで突き飛ばす勢いで、理樹は恭介の腕の中から飛び出した。
「っ…な、なっ…何言ってるんだよっ…!?」
「だから、さっきから言ってるだろ。俺とやらないか、ってな」
「そっ…だって…でもっ…!」
 狼狽し、うろうろと視線を彷徨わせる理樹を見つめ、恭介は端的に尋ねる。
「嫌か」
「っ…そ、そういう問題じゃないだろっ!?何考えてるんだよっ…!」
「嫌じゃないのか」
「だからっそういう問題じゃ――」
「そういう問題だろ」
 恭介は至って冷静に告げる。実際彼にとって重要なのはそこだけだった。
 理樹が自分を好いている事など、当の昔に知っていたし、それがまるで、恋のような色を帯びる瞬間さえある事に、彼は気付いていた。
 問題は、確かに向けられる眼差しは「恋のような」ものだったが、決して本当の「恋」ではない、という点だった。
 それはいわば憧憬で、――恭介はやっぱりすごいね、と称賛する、熱い尊敬の眼差し。
 いつの日にか、それが本当に恋になるのでは、とそう思って待っていた。けれど、待っているだけでは何も起こらない。
 結果を恐れて待つだけでは、現状は打破できない。そう気が付いた。
 もう大分以前から、恭介の理樹への感情は、鈴へ向ける家族愛とは違ってしまっているのだ。
 最初は――鈴と同じような、守るべき存在だった。笑ったら可愛いだろうと思い、それから、守ってやらないと…そう保護欲を掻き立てられた。
 か弱い守るべき存在に、けれどいつしか心を救われて。
 理樹がいるから無茶が出来た。まるで共鳴するかのように、理樹は恭介のその心を誰よりも理解した。
 理樹から向けられる称賛に得難い喜びが伴って、やがて彼は知る。
 理樹と共に生きていきたい――そう望む自身の願望を。
 それは最早親友という域を飛び越えていた。己の抱く理樹への執着が尋常でない事を自覚して、だが恭介は、…ずっと自身の気持ちを抑えつけてきた。
 告げれば、親友――その立場すら失う…そう思った。けれど、気持ちを抑え待ち続け、そうしてなるべくして限界がきた。当然だ。
 だから――決意した。
 現状を打破する方法――恐らく手段としては下の下もいい所だろう。それでも、思いつくのはそれしかなかった。
 故に、思い切ってストレートに言ったのだ。といっても、今までの彼の行いのせいで、一時はその告白も頓挫しかけたが。
 だが、今理樹は、恭介の告白をちゃんと理解している。
「――理樹」
 答えを促すように恭介が声を掛けると、理樹はまるで泣きそうに顔を歪める。
 どんな時でも助けてくれた恭介が、今や理樹に難題を突き付ける側となっているのだ。
「恭介…あの…」
「――答え、出せないか?」
「だっ、て…」
「どうしていいのか分からない…って顔だな」
 まさに心中を言い当てた恭介の言葉に、理樹は項垂れる。いいとも嫌だとも言えない複雑な心境の理樹に、やがて恭介が、今思い出したかのように告げる。
「なぁ理樹。…さっき、約束しただろ?絶対断らないって」
「っ…そ、…」
「ああ、大丈夫だ。別に約束だから守れとか言う気はない」
 一瞬身を竦ませた理樹の頭を、恭介が安心させるようにぽんぽんと叩く。優しい目で理樹を見下ろし、まるで大した事ではないように言った。
「ただまぁ…どうしていいのか分からないなら、――試すだけ試してみないか?」
「試す…?」
「ああ。それでどうしてもダメだってんなら止めればいい。俺だって無理強いする気はないからな」
 先ほどの絶対断らないという約束を持ち出され身構えた理樹は、だが次の、無理強いする気はないという恭介の言葉に、必要以上に安堵した。
 言葉の緩急。飴と鞭。巧妙な言葉のロジックだったが、あっさり懐柔された理樹の中に、試すだけならいいか、という考えが浮かぶ。
 嫌ならやめればいい。確かにそうだ。そもそも、絶対断らないと約束していたのに、それを反故にしてもいいと言ってくれた恭介だ。
 だったら、無理強いなんか本当にしないだろう。
 ――うん…試すだけなら、いいかな…。
 理樹は基本的に、例えどんな事でも恭介が相手となると、途端に押し切られる傾向にある。
 無論その傾向は、これからしようという行為の最中も、恐らく継続されるだろう。
 だが、理樹にその自覚はなく、当然、何だかんだと押し切られる――という状況を予測もしていない。
「じゃあ…試す、だけなら…」
「ああ、――大丈夫だ。試すだけだからな…?」

 そうして――。
 不用意にも頷いてしまった理樹は、結局、その翌日起きてくることも出来なくなるのだが――今の時点では、そんな想定など出来る訳もなかった…。


          *


 場所は、寮の直枝さんの部屋の中。
「――いかがでしょうか」
「い、いかがって…!」
 本を手にしたまま、頬を紅潮させる直枝さん。…ここに恭介さんがいたら…これは絵になります。
「こ、この本何さっ…!?」
「うちのサークル”ミミ踊り”で出した本ですが」
「出さないでよっっ!これ西園さんが書いたの!?」
「…本の編集などはわたしがやりましたが」
「そ、そっか…」
 ――甘いですね。書いていない、とは言っていません。単に思わせぶりな逆接を発言に付加しただけです。
 まぁいいでしょう。これで騙されてくれる辺りが、直枝さんの可愛い所です。
 ……きっと恭介さんにも、さぞや可愛がられて――…。
「――(ぽ)」
「って何で僕見て赤くなるのさっ!変なこと考えてない!?」
「変な事ですか?たとえばどんな事でしょうか」
「っ…そ、それは――」
 途端言葉に詰まる直枝さん。
 …これはいい傾向ですっ…!このまま、直枝さんが恭介さんを意識すれば、きっといつかっ…!
 そう思った所で、突然ドアノブの回る音。
 井ノ原さんでしょうか?
「理樹、いるか?」
 返事も待たずに部屋の中に入って来たのは、恭介さん。…グットタイミングです。
 直枝さんは、頬を染めならが恭介さんを見つめています。やはり絵になりますね…。
「ん?何だ、いたのか西園。珍しいな」
「…すいません。お邪魔ですね。そろそろ退散します」
「いや、別にそんな事はないが。…ああ、そういや理樹」
「な、なに?」
「俺とやらないか?」
「やっやらないよーーーーっ!」
 耳まで真っ赤になって叫ぶ直枝さん。…可愛いです。
「……そんな嫌か…」
 トランプを片手に持ったまま、ズーンと音を立てそうなほど落ち込む恭介さん。格好悪いですが、…この展開は有りです。
 行方を見守りたい所ですが…お二人の邪魔になってしまっては本末転倒ですね。
 名残惜しいですが、退散しましょう。
 一礼して直枝さんの部屋を後にしたわたしは、そのまま自分に部屋に戻りました。
 ……恭介さんの部屋に、本を一冊こっそりと差し入れしてから。

 
 
 
 
 

あとがき
 突発の久々三人称。理樹、悪徳な詐欺商法に引っかかる――みたいな…。
 騙されやすいという自覚がない人ほど騙される、という典型ですね(笑)。西園さんも恭介も、幾らでも理樹を騙せそうです。
 サークル名”ミミ踊り”…はい、美魚と美鳥の名前をシャッフルしただけですよっ!
 実はこの話、昨日久々ネット検索して見つけた、男だけのアンソロジー企画というのに惚れて、思わず投稿しようかと書き始めたのですが…。
 何かですねー。シリアスチックな仮面をかぶったギャグなうえだらだら長くなったので止めました…。それに、何か私の書く三人称って、うざ、い…(血涙)
 うーん…締切がいつなのかとか分からないんですが…B5の二段で8ぺーじの男だけのムサイ健全ギャグ話(うざっ!?)が書けそうだったら、その時は参加申請してみます(爆)
 もし万が一参加許可頂けたら!ですが……。(そこが一番問題だろ)
 でもってこれとは別に、平行して単発もう一本書き書き中〜。や、ホントはそっちをUPするはずだった…。

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