俺の知る限り、棗恭介という男には、大凡敵がいない。
これだけ男女共に人気のある奴も珍しいと思う。
頭はいいし、運動も得意。それでいて嫌みな所が微塵もないから、同性からも好かれる。
マンガの主人公だってこんな完璧じゃないだろうってもんだ。
そんな頭も運動神経も性格も、オールマイティに優れた奴だが、やっぱり、どーしようもない欠点ってのはあるらしい。
*
――そうだなぁ、例えばだ、声が可愛い。
――それから零れ落ちそうな瞳も可愛いぜ?
――あと、柔らかそうな黒髪だろ?突っつきたくなる頬っぺたと、そうそう、指を滑らせたくなる喉元もはずせないな。
――擽ってやると大人しくなって、しかも困ったようにはにかむ顔がこれまた幼いんだ。思わずもっと構いたくなる。
――胸元を肌蹴させたりなんかするとちょっとヤバい位なんだが…おっと以上は言えねぇな。
――あ、勿論見た目だけじゃないぜ?性格も滅茶苦茶可愛いんだ、これが。
――普段は割と突っ込みキャラなんだけどな、たまに天然入ってるボケとかされると、ホント抱きしめたくなるな。
――頑張り屋で、他人の痛みが人一倍分かって、素直で、でもってたまに意地っ張りなトコも可愛いし。
――もうマジで死ぬほど可愛いんだよ。目を離したら誘拐されるかもしれないな。やっぱ防犯グッズを持たせておくべき……。
「棗、お前それは病気だ」
俺は、クラスメイトである棗恭介の口上を、途中で遮ってそう言った。
棗はやや不満そうにこっちを見る。
「何で俺が病気なんだよ」
「あー…いや、俺はだな?今年入って来たお前の幼馴染ってのは、どんな奴だって聞いたよな?」
「ああ。だから今説明してやったろ」
ああ、説明して貰ったよ。
今年の新入生に棗の知り合いがいるって事が何気なく話題に上って、どんな奴だと聞いたら、話してくれた。
筋肉馬鹿と剣道馬鹿と、性格はちょっとアレだか可愛くて気立てのいい妹と、見た目も性格も揃って可愛すぎる親友。
そりゃ、俺としては可愛い二人の後輩ってのに興味があったわけだ。
とりあえずはしこたま妹自慢を披露された後、手を出すつもりならまずは俺を倒してからだな、と言われて急速に萎えたけどな。
その後、もう一人の可愛い親友とやらはどんな奴だと訊ねた結果――先のセリフという訳だ。
「あのな、棗。――そいつ、男なんだろ?」
「そうだぜ?それがどうかしたか?」
「………」
いや、ここは何も聞くな。そうだろう、俺。棗とこれから少なくとも友達でいたいなら、これ以上詮索しちゃいけない気がする。
そうに決まってるさ。はははははは…は、は…。
「――どうした。顔引き攣ってるぜ?おかしな奴だな」
お前にだけは言われたくねぇぞ、そのセリフ。こちとら常識人なんだ。
そりゃ棗にとってはどんだけ可愛いのか知らないけど、男だろ?どう頑張ったって男だろ?
しかも親友なんだろ?それを死ぬほど可愛いって…大丈夫か。
大体なぁ、どんだけ可愛くても女の子じゃないなら意味ねぇって。俺達健全な男子高校生が興味を持つっていったら、やっぱ女の子。
そういえば――。
ふと俺は目の前のクラスメイトの顔を見る。
棗は、容姿はいいし性格はいいし、頭もいい。運動も出来て、当然のように女子にモテてる癖に、浮いた噂の一つもない。
まさか…こいつ、その可愛い親友とやらとすでに…。
「お、おい棗」
「ん?」
「まさかお前――」
「恭介っ!」
突然廊下の向こうから聞こえてきた声に、思わず振り向く。
体育ジャージ姿でこっちに走って来る一年生が一人。
大きな瞳。柔らかそうな黒髪。ふっくらした頬。小さな唇。はにかんだ笑み。
おおおおぉぉストライクに可愛いぞっっ!つーかモロ俺好みじゃんっ。レベル高いな今年の一年っ!
棗の知り合いか。って事はお友達になるチャンスじゃねぇ!?
ん?ちょっと待てよ、まさか棗の妹とかって事は…あ、良かった違った。ジャージの胸ポケットの所に、”直枝”と刺繍されている。
直枝ちゃんか。何だよ、こんな可愛い子がいるんじゃないか。
俺が聞きたかったのは、こーゆー知り合いだよ、こーゆー。
「噂をすれば、だな」
棗が妙に嬉しそう笑う。噂?何かしてたっけ?まあいいや。それより直枝ちゃんだ。
「探したよ、恭介。ほらこれ、辞書」
「ああ、もしかして今朝忘れていったか?」
「うん。確か三時限目英語って言ってただろ?」
「わざわざ悪かったな、サンキュ。――これから体育か?」
「うん」
コクリと頷いたところで、直枝ちゃんが俺に気付く。おーマジでっかい目。かっわいーなぁ。
直枝ちゃんは慌てたように俺に向かって頭を下げる。
「ご、ごめんなさい。お邪魔しました」
うんうん、礼儀正しくて性格も良さそうだ。いいねいいね!
「あ、じゃあ僕もう行くね」
棗に視線に送って直枝ちゃんが去ろうとする。俺は慌てて棗の肘を突っついた。
チクショウ、紹介位しろよっ!
棗は「ん?」と俺を見た後、無言の訴えを看破したのか、直枝ちゃんの手首をひょいと掴んで引き留める。
うおぉっ俺も掴んでみてぇっ!
「なに?恭介」
「体育館まで送ってくか?」
「い、いらないよっ」」
――って紹介じゃねぇのかよっ!しろよ紹介っっ!!
くっそー。こうなったら自力でいってやる。さり気無く「直枝ちゃんっていうの?」から入ればいいんだ。
「あ、あのさー」
「ホントに一人で戻れるか?」
「戻れるよ。っていうか一人で来たんだから大丈夫だよ」
「そっか。――いや、やっぱ心配だな」
「何でさ」
「行きは良い良い帰りは怖いって言うだろ」
「いやいやいや」
………何か、俺のけ者?忘れられてる?
ちっきしょーっ!二人の世界作ってんじゃねぇよっ入り込めねぇじゃんっ。
どうやったら―――。
「ホントに大丈夫か?」
「だから大丈夫だってば。――ほら、恭介。友達も呆れてるだろ」
直枝ちゃんが、ちらり、と俺に視線を寄越す。
アタックチャーーンスっっ!!
「なおえちゃ――!」
「お、そういやまだ紹介して無かったな」
初めて気付いたと言わんばかりの表情で棗が振り返る。いやお前ぜってーわざとだろ。邪魔すんな!
俺の内心を知ってか知らずか(こいつは絶対知ってる)、棗は直枝ちゃんを腕の中に抱きこんだ。
って何やってんだよぉぉっ!?うおお俺も抱きしめてぇぇぇっ!ジェラシィィーーっ!
しかも直枝ちゃんはちょっと照れてるっぽい。
は!!まさか……直枝ちゃんは棗の彼女――!?
「安部。こいつがさっき話してた俺の親友、直枝理樹だ」
ほっ。…なーんだ親友か。良かった良かっ――――え?
「さっき話してた親友って……いや、だってお前、それ…」
男で……。
直枝、理樹。りき。…女の名前じゃない。いや待て、逆から読んでキリなら女の名前でもいけるんじゃないか?ってそーゆー問題じゃねぇぇぇっっ!
俺は茫然と目の前の直枝ちゃん――もとい、直枝理樹くんを見つめる。
お、男かよっ…騙された!男のくせにそんな可愛いとか反則じゃねぇ!?
ちくしょー返せよっ俺の初な恋心っ。
「な、可愛いだろ」
「っ!?ちょ、またそういう事をねっ…!」
困ったように眉を顰める直枝理樹くんに、棗が可愛いを連呼してからかう。
赤くなって照れてる直枝…ちゃん。この子もう、ちゃん付でいーや。う、やっぱ可愛いな。……男だけど。
棗が「うりうり」とか言いながら直枝ちゃんの顎の下を擽っている。
え、それいーのかよっ。俺もやりてぇっ。
「ちょっと恭介っ…ん…」
直枝ちゃんがびくっと首を竦める。
………。
やっべぇぇぇぇっ!!超かわええつーか激萌えーーーっ!?
何か俺今、この子なら男でも良くね?とか思った!!いやマジで!
うん、直枝ちゃん。俺の心のアイドルに決定。ついでに今夜のおかずも決まった。
「遅刻しちゃうからもう離してよ…」
「お、悪い。――じゃ、気を付けて行けよ?」
直枝ちゃんの困ったような声に棗が漸く腕を放して、結局俺はろくに話せないまま、別れてしまった。
パタパタ走っていく後ろ姿を、棗と二人で見送る。
「どうだ、可愛いだろ?」
自慢げに言う棗に、俺はぼんやり頷いた。
「…可愛かったなぁ、直枝ちゃん…」
「――なおえ、ちゃん…?」
棗が妙なものでも見るように俺を眺める。
…な、なんだよその顔は。可愛い可愛いって自慢したのはそっちだろ?
「なぁ安部」
「なんだよ」
「――理樹は男だぜ?分かってるか?」
「わ、わ、分かってるに決まってんだろっ」
「ならいいけどな…」
棗は胡乱気な目で俺を見た後、ふう、とため息を吐く。
ってなんで俺がお前にそんな風に言われにゃならんのだーーーっ!
くっそー何だこの理不尽さっ。
こうなったら、何が何でも絶対直枝ちゃんとお友達になってやるっ。でもって棗とはライバルだっ!
直枝ちゃんと仲良くなったら見てろよ?顎の下擽ったり、あわよくばそれ以上もっ…!
「安部」
「あ?」
「直枝理樹愛好会ってのがあるんだが…入るか?」
「入る!」
「即答かよっ」
当たり前だ。この際仲良くなれそうなら何でもいい。その為なら、悪いが棗、お前も利用させて貰うっ。
意気込む俺に、棗が何処からか紙を取り出して差し出してくる。
「これ、入会申込書な。ここに名前と印鑑だ。印鑑は、なけりゃ拇印でもいい」
ほうほう。ここに名前と…印鑑はないから拇印だな。
準備よく棗の差し出してきた朱肉に親指を押しつけて、紙に捺印する。
棗はそれをしっかり確認し、頷いた。
「よし。オーケーだ。これでお前も会員だ。あ、これ規約書な。熟読しとけよ?」
「サンキュー!」
ふんふん?えーと……。
条項一
会員は、棗恭介の許可なく直枝理樹に近づいてはいけない。
また、棗恭介の許可なく直枝理樹と親しくしてはいけない。
これに違反した場合、違反した者は厳重に処罰される。また違反した者を発見して放置した場合も、同罪と見なす。
条項二
会員は、棗恭介の許可なく――――。
「………棗、これ…」
「あ、因みに卒業まで脱会は出来ないぜ?」
「なぁにぃぃぃ!」
うおぉぉぉ騙された――――っっ!
くっ処罰が何だっ!俺はそんなもん怖くねぇぞっっ!所詮会員が集まってあーだこーだ文句付ける程度のっ…!
「そういや――」
ふと、棗が遠い目で空を見やる。目を細めて、突然懐かしそうに言った。
「生物部に預けたヒグマ…元気でやってるかな」
俺が思うに、棗恭介という男は、敵がいないんじゃなくて、敵に回したくないタイプなんだ。
最後に、―――俺が、卒業まで唯の一回も「処罰」を受けなかった事を、ここに記しておく。
あとがき
恭介が愛好会を発足させた理由…理樹に近づく輩を先んじて制すため。
…単なる酔狂です。オリキャラ練習(なにそれ…)。