少年が二人、手を繋いで歩く。
どちらも十分子供だが、背の高い方は、まるで自分は大人のような表情でもう一人の手を引っ張っていく。
手を引かれて歩く少年はと言えば、こちらは幼い子供そのものだった。
「ねぇ恭介」
「何だ?」
「どこ行くの?」
自分の手を引っ張ってくれる一つ年上の幼馴染――棗恭介に、直枝理樹はワクワクと胸を躍らせながら問い掛ける。
恭介はいつもの得意げな笑みを浮かべ、「実はな…」と言ってから勿体ぶるように言葉を切る。
理樹が期待に満ちた瞳で見上げて来るのを満足そうに眺め、それから悪戯っぽく笑う。
「聞いて驚くな?――新しい秘密基地を作ったんだよ!」
「新しい秘密基地っ?」
「ああ」
得意満面な恭介に、理樹がきらきらと憧れの眼差しを向ける。
「すごいね、恭介!」
「まぁな。――見せるのはお前が最初だ」
「いいの!?」
「おうっ」
意気揚々と歩く恭介は、少し遅れて付いてくる理樹の手を引き寄せ、自分の隣を歩かせる。
「今回のは自分でも結構気に入ってるんだぜ?特に侵入者用のトラップに凝ってみたんだけどな」
秘密基地の場所や構造、機能などを身振り手振りで説明する恭介。その言葉に理樹はすっかり聞き入っている。
途中で土手に降り高架下を抜けて川沿いに二人で歩き続け、やがて恭介が足を止めたのは、何の変哲もない民家の前だった。
「ここから行くんだ」
恭介が得意げに指差した先は、民家と民家の間の狭い壁の隙間。
「こんなトコから?」
「すぐ分かる場所が出入り口じゃ、秘密基地にならないだろ?」
「あ、そっか…」
さすが恭介だね、とまた感嘆の言葉が理樹から自然と零れる。
二人で狭い壁の隙間を横這いで進み、他人の庭先と思しき場所を抜け、小さなフェンスをよじ登ったりしながら目的地へ。
一度では覚えられないような道程を経て二人が辿り着いた先は、蔦の這う柵と曲がりくねった枝で覆われた自然公園の裏門だった。
昔は通行出来たらしいが、封鎖されて以来一度も使われていない入口だ。管理も杜撰で、子供は近づかないように言われていた事を理樹は思い出す。
「ここ…?」
不安げに見上げた隣には、自信満々の笑顔。
どうだ凄いだろ?と言わんばかりの恭介の表情には一片の不安要素もなく、理樹に安堵を齎す。
どんな大人よりも、理樹が信頼するのは恭介だった。
恭介は理樹の肩に腕を回して引き寄せ、秘密を共有するように小声で耳打ちする。
「そこの樹、見えるか?」
「樹?」
「枝がトンネルみたくなってるだろ。あの下通ると裏門をくぐり抜けられるんだぜ?」
「ほ、ほんと?」
「よし理樹。ついて来い!」
率先して木の下へ恭介が潜り込む。
何があっても恭介さえ傍にいてくれれば大丈夫だと偽りなく信仰している理樹は、すぐに恭介に続く。
びっしり蔦の這う柵と樹や草ですっかり覆われた裏門は一見強固だったが、小さな子供の身体は、その隙間を器用に縫っていく。
小枝と草叢を掻き分け、やがて二人は自然公園内に出た。
前を進んでいた恭介は当然理樹より先にそこにいたが、なぜか立ち上がる様子がない。
どこか呆気に取られた表情で前方を見詰めていた。
「?」
理樹も恭介に習うように前に目を向け――。
そこに、先客がいた。
ひっそりと身を寄せ合う一組の男女の姿。
その二人の距離は、やけに近いように見えた。理樹は一度目を瞬かせ、やがてその二人がキスをしているのだという事実に気付く。
分かった途端、ドキリと心臓が跳ねあがり、そのまま動けなくなる。
裏門近くは草も生え放題で人はあまり近づかない。つまり人目を憚るには最適な場所という訳だ。
恐らくデートでもしていたのだろうが、二人っきりだと思い込んだ恋人同士の口付けは中々に激しい物だった。
恭介も驚きのあまりその光景を凝視して固まっている。
少しばかり距離があるおかげで、向こうは全く気付いておらず、何度も濃厚な口付けが繰り返される。
恭介も理樹も、しばらく硬直したまま動けなかった。
やがて、先に恭介が動揺から脱出した。
「――取り敢えず、戻るか」
「う、うん」
恭介に腕を引っ張られながら、理樹は再び草叢を掻き分け公園の外へ。
そのまま二人で、会話もなく元来た道を戻った。
川沿いの民家の所まで戻り、土手に下りる途中で理樹は足を滑らせた。
いつものように恭介が支えてくれたが、それすら気まずい。恭介は転ぶ心配をしてか理樹の手を掴んだまま河川敷を歩きだす。
どうしていいのかよく分からない気恥しさに、理樹は頬が火照っているような気がして始終俯いていた。
瞼の裏には、今さっきの情景が焼き付いて、それは確かに、理樹にとっては刺激の強すぎるものだった。
心臓がトクトクと鳴る。
無言のまま歩き続け、――ふと、恭介はどう感じているのだろうと気になった。理樹は思わず視線を上げる。
斜め後ろから見える部分は少なかったが、恭介の頬も、僅かに赤くなっているように見えた。
恭介が照れているのだと思ったら、途端に理樹は、もっと居た堪れない気分に襲われた。
繋いだ手が汗ばんでいく。
高架下辺りまで戻ってきた所で恭介が不意に足を止め、理樹を振り返った。
「理樹」
「…なに?」
「――さっきの」
その一言に、理樹はパッと白い頬に朱を散らせ、耳まで赤くなる。そんな理樹を見つめ、恭介は少しばかり神妙な顔で言った。
「キスって、した事あるか?」
「な、ないよっ」
真っ赤になって否定する理樹の返答に、恭介はそうかと言って黙り込む。
しかし沈黙は数秒で、すぐに赤い瞳は好奇心と冒険心に満ちた。
「よし、じゃあ…俺達でやってみるか!」
「――え…?」
目を見開く理樹に、恭介が近付く。
理樹は思わずよろめく様に後ずさる。と言っても理樹の手は恭介に掴まれたままで、然程距離は開かない。
「恭介?」
「キス…さ。してみようぜ?」
「え、――え?や、あの、だって…ひ、人が…!」
他人に見られる心配以前の問題だったが、動揺した理樹は取り敢えず何でもいいからと、制止の理由を口にする。
恭介は、「ああ」と軽く一つ頷いて理樹を高架下に引きずり込んだ。
橋を支えるコンクリートの柱の影に、二人の姿が隠れる。
「これでいいだろ?」
「や…あの、でも」
「確か…こう、だったよな」
恭介が、理樹の腰に手を回す。ぐっと二人の身体が密着する。
「わっ…ちょっ…あのっ…!」
「それから、こう…だっけ?」
理樹の後頭部に恭介の手が添えられる。
真っ赤になってうろたえる理樹とは対照的に、恭介の目に浮かぶのは単なる好奇心だ。
「でもって、こうか!」
恭介がぐっと理樹に顔を近づける。
「まっ…きょ、きょうすけっ」
「なんだよ」
「だ、だめだよっ。こ、こういうのは…もっと大人がすることでっ…こ、子供はしたらだめだよっ」
「誰がそんな事言ったんだ?」
「え…誰って…」
「別に、大人だろうが子供だろうが関係ないだろ。好きな奴とする事だぜ?」
あっけらかんと告げられた言葉に、理樹は目を丸くする。
そんな簡単なものなのだろうか。
「好きな人って……でも…」
「何だよ理樹。…俺とじゃ嫌なのか?」
少しばかり不満そうに唇を尖らせる恭介に、理樹は大慌てで首を横に振った。
「そんな事ないよっ!僕っ…恭介が一番好きだもんっ!」
言いきった理樹に、恭介は「だろ!」と破顔する。
「だったら何も問題ないだろ。俺も理樹が一番好きだからな」
「――う、うん…」
説得されたというよりは、恭介の告白のような言葉に浮かされて、理樹は頷いてた。
だが実際、恭介が言うならそうなのかもしれない――目の前の少年に心から憧れ、そして尊敬もしている理樹は、あっさりとその言い分をも肯定する。
頬を染めながら、されるままに身を任せる。
「恭介。僕…どうすればいいの?」
「大丈夫だ。理樹は何もしなくていい」
俺に任せておけ、と言って、恭介は理樹の後頭部に当てた手ごと、理樹の頭を引き寄せる。
その勢いに、思わず理樹はぎゅっと目を瞑る。急速に二人の顔が近付いて――幼い唇同士がぶつかった。
「っ…痛っ…」
反動で上唇に歯が当たり、瞬時走った痛みに理樹は眉を顰める。
一瞬だけ重なった唇はすぐに離れていった。お互い痛かったはずだが、恭介は理樹の顔を申し訳なさそうに覗きこむ。
「悪ぃ…大丈夫か?」
「う、うん…」
頷く理樹の唇に、恭介が心配げに指を伸ばす。ぷっくりと柔らかい赤に触れ、優しく撫でる。
理樹は僅かに震えながら、目を閉じて大人しく恭介のするがままに任せた。
白い肌に際立って赤い唇を撫でていた恭介が、それをじっと見つめ不意に口を開く。
「なんつーか…ちょっと、エロい、な」
「え?」
理樹が驚いて目を開いた瞬間――焦点の合わない距離に、恭介の顔があった。
そっと柔らかく唇に触れる何か。優しく労わるように重ねあわされるそれに、理樹は一度だけ強張り、やがてゆるゆると瞼を下ろした。
伏せた睫毛が細かく震える。
手を繋いだり、抱き寄せられたり、頭を撫でて貰ったり、恭介とは密なスキンシップが多かった理樹だが、こんな風に触れ合うのは勿論初めてだった。
憧れと尊敬で見上げてきた一つ年上の大好きな幼馴染。そんな恭介との、秘め事めいた特別な触れ合い。
頭の中で目まぐるしく思考は回っているのに、自分が何を考え感じているのか、理樹にはまるで掴めなかった。
唇が熱を生む。心臓が壊れそうな程鳴って、何も考えられない。
苦しいような、嬉しいような、幸せなような、後ろめたいような。
「っ……ん…」
息が苦しくなって、理樹は思わずくぐもった声を漏らす。
途端に、柔らかな熱が唇から離れていく。
失われた温もりにどこか寂しいような不思議な感覚を抱きながら、理樹は慌てて肺に空気を送り込む。
長かったのか短かったのかすら分からない恭介との触れ合い。
そっと理樹が瞼を持ち上げると、驚くほど間近で恭介と目が合った。
その赤い双眸には浮かぶのは、先ほど見た好奇心ではなかった。どこか熱を帯びた瞳が理樹を見つめ、すぐに逸らされる。
「…きょうすけ…?」
「――」
幼く名を呼ぶ理樹の顔をちらりと横目で見てから、恭介は酷くバツ悪そうに再び視線を逸らす。僅かながらその頬が紅潮しているのが見て取れた。
恭介はそのまま、がしがしと自分の髪を掻き回しながら「あー」とも「うー」とも付かない声を上げ、落ち着かない所作で視線を彷徨わせている。
そんな幼馴染の様子に、理樹は急に不安に襲われた。今の行為を、もしかして恭介は嫌だったのだろうか、と思った。
途端に泣きだしてしまいそうになる。
「あ、あのね…ごめんなさい…」
嫌われたくなくて、思わず意味もなく謝っていた。
理樹の突然の謝罪に恭介は瞠目し、それから口をへの字に曲げた。
「何でお前が謝るんだよ」
「だって」
「…別に、謝るような事してないだろ?」
「でも…い、嫌だったのかなって思って」
上目遣いに恭介を見上げると、そこには思いっきり不機嫌そうな顔がある。
やっぱり嫌だったんだと確信した理樹の瞳はすぐにも潤みかける。
だが、恭介はいつもとは違う少しぶっきらぼうな口調で、それを否定した。
「別に俺は…嫌じゃねぇよ」
「嫌じゃないの?」
「ああ。――理樹は?」
問いかける恭介の瞳はどうにも真剣で、少し前までの興味本位ばかりの表情とはかけ離れたものだった。
理樹は零れおちそうな黒瞳を瞬かせ、不思議そうに首を傾げる。
「嫌なわけないよ?」
どうしてそんなあたり前の事を聞くのかと逆に問うような返答に、恭介は一瞬言葉を失い、そして一気に脱力した。
まだ僅かに赤い頬を誤魔化す様に口元を手で覆ったりしながら、恭介はぶつぶつと独り事を呟く。
――「嫌じゃないのか」「いや待て駄目だ」「つか駄目ってなんだよ俺は別に」「でも」――
葛藤するように髪を掻き毟る恭介に理樹は首を傾げる。
「どうしたの?恭介」
「…いや、何でもない」
一頻悩んでいたが、元来深みに嵌るようなタイプではなく、恭介はすぐに明朗な笑顔を理樹に向けた。
「ま、なるようになるさ。考えても仕方ねぇしな?」
「??何の話?」
「んーまぁ…俺が理樹を大好きだって話だ」
「ぼ、僕も!」
「ん?」
「僕も恭介大好きだよっ!」
手を挙げて答えるような勢いの理樹に、恭介は「おう!」と元気よく答えて、細い肩へ腕を回す。
そのまま二人で歩き出す。数歩進んだ所で、恭介は突然腕に力を入れて理樹を引き寄せた。
「わっ」
「あのな、理樹」
耳元で恭介が小さく囁く。
「さっきの……俺とお前の秘密だからな?」
「――う、うん」
理樹は素直に頷いた。
子供心に、してはいけない事をしてしまったような罪悪感はあった。
おそらく恭介も同じなのだろう。邪気無くやってみようなどと言い出した時とは違って、妙にぎこちない。
その時、ふと思い出したように二人は同時に顔を見合わせた。
”秘密”というキーワードで浮かんだのは――。
「「秘密基地!」」
二人の声がハモる。
今度はそれがおかしくて、二人はやはり同時に笑い転げた。
暫し笑ってから、恭介は「また今度連れってってやるから」と理樹に約束する。
指きりげんまんだと小指を絡め、約束事の謳い文句と共に、二人の指が離れる。
その瞬間、理樹は不意に先ほど胸に去来した感情を思い返した。
恭介の唇が離れた時に感じたあれは、何だったのだろう。
寂しい、だったのだろうか…?
どうしてそんな事を寂しいと思うのだろうと考えようとしたが、恭介が「家まで競争だ」と言い出したのをきっかけに、そんな疑問はあっさり忘却の彼方へ消える。
それきり、まるで先ほどの行為など忘れてしまったかのように、二人は無邪気に遊びながら帰路についた。
あとがき
寂しい、じゃなくて、足りない、ってゆーんだよー(笑)
寂しさってのは何某かの飢えの現れですからねー。もっと欲しいとかそーゆー欲も寂しさと紙一重。
そして多分理樹はすっっっかり忘れているような気がする(笑)。こういう事って実は恭介の方がしっかり覚えていそう。
が、理樹が思い出しても、「そうだったっけか?」とか惚けそうですけどねw
幼い頃の恭介は、多分無自覚で理樹に恋してると思うんだ。常日頃から触れたいと思ってるんだけど、何で理樹に触れたいのかはよく分かってない(笑)
けど触りたいから触っちゃう。おかげでスキンシップ超過多。
キスも理樹にならしたいと思ったからしてみただけ。そんで、うっかり生々しく興奮しちまったと(爆)
何だこれ、あれ、もしかして俺って理樹の事…?みたいな。
色々用意周到なのに、結果自分でドツボに嵌る恭介とか好きですw
因みにこれ、むかーし、ビジュアルブックが欲しくて本屋を梯子してた時に、うっかり全然違うトコから拾ってしまった思わぬ萌えの残骸…。
残ってたので色々とリメイクしてみました。どんな萌えかって…そりゃアンタ、人間やめますか?と頭に木霊したような萌えだ。