最愛の人

 冬の早朝。
 まだ陽も昇らない暗い時刻――。
 肩を揺さぶられ、目を開いた僕の前には、何故か恭介がいた。
「こんな時間にどうしたの…?」
「ちょっと付き合えよ」
 返されたのはそんな一言だけ。恭介は、いつもの少し悪戯な子供のような笑みを浮かべて、僕をベットから連れ出した。
 
 
 
 ちゃんと着ろと言われたのに、眠たさと面倒臭さで、パジャマの上にコートを羽織った。
 寝ぼけ眼を擦りながら、恭介の手に引かれるまま寮を抜け出して。外へ出た途端身を刺す冷気に、一気に目が覚める。
 吐く息が白い。相当寒いんだろう、粉雪が舞っている。恭介に掴まれた手だけは温かいけれど。
 寮を出て、少し坂になった道を上った所で恭介が立ち止まる。
「ま、この辺か」
「一体どうしたのさ?」
 眠っていた所を突然起こされて、理由も分からないままこんなトコまで連れてこられて。
 怒ってもいいんだろうけど、恭介の楽しそうな顔を見たら、そんな気にもなれない。
 せめて理由だけでも問う。だけど恭介は笑顔を見せるばかりで、明確な答えはくれなかった。
「すぐに分かる」――とだけ。
 まぁ…恭介の突飛な行動には慣れてるし、こういう時は絶対教えてくれないから、仕方なくその「すぐ」とやらを待つ事にする。
 だけど、流石にパジャマにコートだけっていうのは寒い。
 うーん…恭介に言われた通り、ちゃんと着てくれば良かったな。でも、まさか外に出るとは思わなかったし。
 ぶるっと思わず震えると、恭介がこっちを見た。
「お前、もしかしてその下、パジャマか?」
「うん…」
「ちゃんと着て来いって言ったろ」
「う…」
 だって…半分寝ぼけてたしさ…。
「ったく…。それじゃ風邪引いちまうだろ。…一緒に入るか?」
 そう言って、恭介がコートを広げる。僕は慌てて首を横に振った。
「い、いいよ。大丈夫だか――っくしゅっ」
「どこが大丈夫だ。ほら…いいから入れ」
「や、でも…」
「心配するな。こんな時間に人なんか来ないから」
 思わず他人の目を気にした僕に、恭介が安心させるように微笑む。
 ふわり、と温かな体温が後ろから僕を包む。恭介のコートにすっぽり覆われて、密着する身体に心臓が跳ねた。
 腕が前に回って、そっと抱き締められる。次いで、恭介の顎が僕の肩に乗る。
 吐息が耳に掛かかると、訳もなく鼓動が速くなった。
 どうしよう…ドキドキしてきたっ。こんなに近かったら、心臓の音聞こえちゃうよ…!
「あ、の…きょ、恭介」
「寒くないか?」
「う、うん…」
「何だ、もしかして緊張してるのか」
「え…いやいやっ…」
 否定はしたものの、頬に熱が集まるのは誤魔化せなくて、それを見た恭介が、耳元で低く笑う。
「――可愛いな、理樹」
「っ…」
 どうしてこの人はっ…こういう事を平気でっ…!
 慌てふためく僕の様子は、だけど恭介を面白がらせてしまっただけだった。
 抱き締める腕に力が籠って、ますます身体が密着する。耳朶に唇が押しつけられて――。
「――理樹」
「ちょっ…あのっ、あの…」
 早朝で人がいないとはいえ、一応ここは公共の場で人の通る往来でっ…!
 そんな事をぐるぐる考えるものの、身体を包む温もりは離れがたくて。結局ロクな抵抗もしないでいたら、頬に柔らかいものが押しつけられた。
「わっ…恭介っ!?」
「ん?」
「い、今何かしなかった…!?」
「何かって何だ?」
 笑みを含んだ声音。
 ああもうっ…僕をからかって遊んでるよね!?
「ひ、人に見られたらどうするのさ…!」
「俺は全く構わんが」
「あ、あのねぇ…真面目な話――」
「真面目な話だ」
 ぐっと――強く抱き締められる。そして、言葉通り真面目な声が、耳元で告げる。
「俺は…世界中の誰にでも胸を張って言えるぜ?――理樹は俺の、最愛の恋人だってな」
「っ…!」
 突然の真面目な告白にどうしていいのか分からなくなる。
 確かに、それはきっと本当の事で…。恭介なら言えるだろうと思った。
 それからふと思った。――僕は、言えるんだろうか…?
「――理樹」
 名前を呼ばれて、頭を優しく撫でられる。
「恭介…」
「お前は、お前のままでいい。無理に…俺みたいになろうとしなくていいからな」
「でも」
「いいんだよ。何事にもバランスってのは必要だろ?」
 おどけたように恭介は笑うけれど。
 何だかそれは不公平な気がした。だって……世界中の誰にでも、だなんて、そんな風に言って貰えた僕は、凄く嬉しかったから。
 僕だけ嬉しいのは、駄目だと思って…。いつもなら人目を気にしてしまうけれど、今は、周りに人がいるかどうかなんて確かめないで恭介の方を向く。
 そして、僕の肩に乗る横顔に――そっと唇を触れさせた。
 恭介がちょっとびっくりしたように目を見開く。
「理樹…」
「ぼ、僕だって――言える、よ」
 それはちょっとだけ虚勢だったけど、恭介は凄く嬉しそうに笑ってくれた。
「そっか」
 恭介がぎゅっと僕を抱きしめて、髪に顔を埋めてくる。
 あったかい…。恭介も温かいといいな…。
 どのくらいそうやっていたか分からないけれど、やがて、徐々に辺りが明るくなってくる。
「ああ、ほら――見てみろよ」
「え…?」
「朝日」
 恭介の指差した方向――坂の下の方に、何時の間にか冬の朝やけが広がっていた。
 冷たく澄みきった空に、薄紅と黄金色とが交り合って乱舞する。自然の織りなす光の芸術。
 ちらちら舞う粉雪が光に反射して、スターダストの様にも見えた。
 思わず言葉もなく魅入る。
「――綺麗だろ」
「うん…」
「気に入ったか?」
 囁かれたその言葉に、一も二もなく頷く。
 そっか…。恭介は、これを僕に見せたくて――。
 恭介が僕に見せてくれるものは、いつだって楽しかったり綺麗だったり、心を震わせるものばかりだ。
「ねぇ恭介」
「ん?」
「ありがとう…」
「――ああ」
 恭介の穏やかな声を聞きながら、思う。いつか僕も、こんな風に恭介に綺麗なものを見せられたらいい。
 ――こうやって、二人で見れたらいい。
 僕が今感じている幸せを、恭介にも知って欲しい。
 ずっと――二人でこうしていたい…。
 そう思っていたら、不意に耳元で、柔らかな声が呟いた。
「ずっと…こうしていたいな」
 それは僕も同じで、先に言われてしまったのが悔しいような、嬉しいような。
 僕も何か言おうと思ったけれど、結局言葉には出来なかった。だから代わりに、僕を抱き締める恭介の腕を、両手でそっと掴む。
 ただ黙ったまま、僕らは二人で、幻想的な光景を眺め続けた。


 やがて、まだ朝焼けは残っていたけれど、恭介が僕の頭に手を乗せる。
「さて、と。じゃあ、皆が起き出さない内に戻るか」
 そっか…流石にこの時間に寮を抜け出したことがバレたらマズイもんね。
「うん」
 僕が頷くと同時に、恭介の温もりが離れていく。それを少し残念だなんて思った。
 そして、――今度はコートだけが肩に掛けられた。
 え…?
「恭介…?」
「着とけよ」
「いやいやっ駄目だよ、恭介が風邪引いちゃうよっ」
 慌てて恭介の掛けてくれたコートを脱ごうとしたけど、手と目で制される。
 そんな、だって…。
「恭介ってば!」
「いいんだよ。俺はこうしてれば温かいからな」
 言い様、恭介が僕の手を掴んでしっかり握る。
 それから振り返って、二っと笑う。
「それに――風邪引いたら、理樹が看病してくれるだろ?」
「っ…そういう問題じゃっ…」
「何だよ、してくれないのか?」
「す、するけどさっ」
「だったら寧ろ風邪引きたい位だけどな」
「駄目だよっ」
「ははっ冗談だって」
 笑う恭介の肩をちょっとだけ叩く振りをして、――そのまま腕に抱きついた。
 合わさる掌と、絡み合う腕。
「――誰かに見られるぜ?」
「いいよ」
 そう答えた僕に、恭介は目を細めて笑って、それから掠めるだけのキスをした。
 二人で身を寄せ合って、坂を下る。
 
 
 寮までの短い道のり。
 相変わらず粉雪は舞い続けていたけれど、もう寒くなんかない。
 この…優しく温かな手が、傍らにある限り――。
 
 
 
 
 
 
 

あとがき
 こっこんなんですがっ…キリ番拾って下さったお優しい宮本様に謹んで献上っ…。ダーク・シリアス・砂甘の三択の結果、砂甘+ややシリアスになりまーしたー…。
 ええもう…砂さえ吐いてもらえれば本望っ…!よよよ宜しければ貰ってやって下さいませ…!

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