時計がカチコチと音を立てる。時は進む――ただひたすら崩壊へ向けて。
時間がない。世界が悲鳴を上げる。キシキシ軋む。
世界が終わると、焦った声がする。
早く――その手を離して背中を押してやれ。
一人は、そう叱咤した。
早く――その手を掴んで連れていけ。
一人は、そう唆した。
さぁ――選べ。
世界が終わるその前に。
夢を見た。
俺を同じ顔をした男が一人出てくるだけの、下らない夢。
皮肉な笑みを浮かべたそいつは、俺を見てまるで呆れたように笑った。
『こいつぁ驚いたな。お前、まだいたのか』
何の話だ。
こいつは一体誰だ。
眉をひそめた俺に、『俺』が言う。
『お前、いい加減消えろよ』
偉そうに冷たく吐き捨てる。その『俺』に、胸がムカついた。
そんな事を言われる筋合いはない。何様のつもりだ。
『お前こそ何様のつもりだ。…俺の邪魔をするな』
イラついた口調。鳴らされる舌打ち。何を焦っているんだ、こいつ。
俺がここにいる事に、酷く危機感を募らせている――それに気付いた途端、先ほどまでのムカつきがスっと引いていった。
こいつはどうやら俺が気にくわないようだが、しかし立場は対等らしい。
「消えるのは、お前の方じゃないのかよ」
冷静に告げれば、そいつは顔を歪めた。
『…失せろ。早く消えちまえ』
「断る。…消えるのはお前だ」
『――俺は消えないさ。やる事があるからな』
お優しいお前と違って、とそいつは言った。
何を言ってる。俺にだってやる事はある。
――理樹を、強くする。
『お前に、それが出来るのか?』
「出来るさ」
『本当に?』
そいつは、くっと喉の奥で笑って俺の腕の中を指さした。
『理樹を、そんな風にしているお前がか?』
腕の中に――理樹がいた。
弱々しく俺の胸に縋って来る、理樹が。
”恭介…”
”置いて行かないで…恭介”
”一人にしないで…僕も連れて行ってよ…”
「――理樹…」
ああダメだ、まだ理樹は弱い。まだ…俺が守ってやらないと。まだ…俺が必要だ。
その衝動に身を任せて、理樹の身体を抱き締めた。
『――何を、やってる』
冷たい声に顔を上げれば、腕の中から理樹が掻き消える。
『ほらな?…お前には無理だ』
何が、無理だと――。
茫然としている俺に、そいつは吐き捨てる。
『お前は、理樹は自分が守るものだと思っているだろう。ずっと一緒にいると、疑いもせず思ってきただろう。まるで息をするように手を繋いで』
そいつは、俺を睨みつけながら、自嘲するように唇を持ち上げた。
そして言った。
お前は、理樹が強くなると思っているか――と。
理樹が――強くなる。当たり前だ、ここはその為の世界だろう。
『本当に、そう思ってるのか?』
再度問われた。
浮かんだ考えは、二つ。
――その足は歩き出す。やがて来る過酷を乗り越える。理樹は…強くなる。いつか、俺の手を離して飛び立つ。
――その足は歩き出さない。やがて来る過酷からも逃げ出す。理樹は…弱い。いつまでも、俺の手を離せない。
同時に浮かぶ考え。相反する答えと感情。
何だ今更。俺は決意したはずだ。
俺はもう、何一つ望まない。あの二人を生かす――ただそれだけを除いては。
それがきっと、俺が今まで生きてきた意味だ。だから、それ以外を望むはずがない。
なのに、何を揺らぐ?俺は何を怖れてる――?
「…は、ははは…」
せめぎ合い、葛藤する精神に乾いた笑いが漏れる。まるでジキルとハイドだな。――滑稽だ。
理樹も鈴も強くなっていく。いいじゃないか。その為の世界だったろう。
大体、こんな世界になる前から、いずれ…あの二人が俺の元を離れていくなんて、分かっていた事じゃないか。
鈴だって、将来…俺の手を離れていく。理樹だっていつか――。
ふと、疑問が湧いた。
理樹は、どうだった?理樹が俺の元から離れると――俺は、そう思っていただろうか。
まるで息をするように手を繋いで、…ずっと、一緒にいると。
『お前は…強くするなんて言葉を口実に、理樹の傍から離れたくないだけだろう』
「…違う」
『いいや違わない。確かにこれは、一生に一度のチャンスかもな?今なら、理樹を…誰にも渡さず一緒に連れていける』
「やめろ、違う…」
『お前は、理樹を自分のものにしたいんだ。出会った時からずっとな』
「違うっ!」
『何が違う?だったらどうして理樹だけが鈴と同じ扱いになった。真人や謙吾に対するのと違ったのはなぜだ。なぜあいつだけ違った。なぜあいつとだけ手を繋ぐ?』
「――あいつは弱かった。だから」
『そうじゃない。理樹は弱くない。あいつは強くなるぜ?――『俺』が、ほんの少し手を離しさえすれば、たったそれだけでな。
あいつが弱いのは――誰かさんが、その手をずっと掴んで離さないからだろう?』
「――何が、言いたい…」
そいつは目を眇めて、侮蔑するように俺を見た。
『お前が、あいつを弱くしてるんだ』
「っ…勝手な事を…」
『勝手なのはどっちだ。お前はいい加減にその手を離すべきだ。じゃないと理樹は強くなれない。いいか、もう時間はないんだ。…認めろよ。理樹の弱さに依存する、『俺』自身の弱さを』
「黙れ…失せろっ…」
『失せるのはお前だ、……弱いだけの――ハイド』
冷徹な笑みをその顔に張り付けたまま、最後に奴はそう言った―――。
*
はっと目を見開く。そこは――理樹の部屋だった。
椅子に座ったまま、転寝していたのか。
嫌な夢を見たなと思った。
ベットには、いつものようにナルコレプシーで倒れた理樹が、眠っている。
近づいて、布団から出ている手を、そっと握る。
蒼褪めてさえ見える白い顔を見つめ、握る手に力を込めた。
弱い――理樹。お前はずっと弱いままだな。こんな弱さじゃ、お前は俺の手を離せない。そうだよな。最初から分かっていた事じゃないか。
そういえば夢の中の『俺』は、理樹を強くする、などとほざいていたか。
二人も『俺』がいた癖に、どちらも強くするだとか手を離せだとか、全く以て五月蠅かった。
どちらも世迷言だ。
ああそうか。あいつらは過去の俺か。何も知らない頃の俺だったか。――残念だったな?俺の中のジキルとハイド。
お前らの思惑は、全てハズレ、だ。
理樹が歩き出せないと思ったから世界を創った。
理樹と鈴の二人で強くなって欲しかった。だが、その中で…強くなったのは鈴一人だった。
鈴は、小毬と一緒に先に俺の元を離れていった。それも、大分前の話だ。
少しづつ去っていって、やがて、俺だけでは支えきれなくなって、世界は崩れ落ちていった。
皆で創ったあの世界は終わった。壊れた。
弱いままの理樹を残して――。
――だから俺が、また……世界を創った。
俺と理樹だけの小さな世界だが――二人だけで存在するなら、十分だ。
ここにはもう、俺と理樹しかいない。
他の皆はどうなったかなと、時々思う。知る術もない今更、意味はないが。
その時、理樹が薄く目を開いた。
ゆらりと空を漂った黒瞳が俺を捉え、そこに笑みが載る。
「…恭介」
「ああ。――ここにいる」
手を握って応えれば、理樹の顔が幸せそうに綻ぶ。
「うん…」
いるね、と呟いて――理樹の手にも力が籠る。
手を繋ぎあって、俺達は静かに微笑み合った。
カチコチと、壁に掛かった時計の秒針が回って――二人でそれを見つめる。
ややして、理樹が口を開く。
「ねぇ、恭介」
「ん?」
「もうそろそろ、時間?」
「ああ。…今回は短くて、悪いな」
「――だから、僕も手伝うって言ってるのに」
そう言って唇を尖らせる理樹の額を、俺は小突いてやった。
「いいんだよ。…お前はそのままで」
「でも…」
「でもじゃない。俺に任せろ。…な?理樹」
「…うん」
しぶしぶと頷いた理樹に、俺はそっと顔を近づけた。理樹の黒瞳が一瞬大きくなって、――それから瞼に覆われる。
薄く色付く頬を視界の端に収めながら、ゆっくり唇を重ねる。
何度か唇を合わせて、それから離せば、桜色に染まった肌と潤んだ瞳が俺を見上げてくる。
「恭介…」
「何だ?」
「―――今が、ずっと続けばいいのにね」
そう言って、理樹が照れたように笑った。俺はそうだなと応える。
…そうだな、続けばいい。今が…この幸せな時間がずっと。
この手を掴んで離さず、永遠に繰り返し…幸せの中でまどろんで、今まで通り守り続け――。
時計が、また時を刻む。カチコチと。
俺と理樹は、黙ってそれを見つめ続ける。
カチコチ…キシリ…。
時計が――世界が…軋んだ音を立てる。歪んだ音を立てる。
俺達は指を絡めあうように手を繋ぐ。
この手が、二度と離れる事のないように。
もうすぐまた――この小さな世界は、壊れて消える。そしてまた俺が最初から創る。
二人だけの小さな世界を、何度でも何度でも――永遠に。
もう終わらない。俺が終わらせない。だから、時間はたくさんあるんだ。
ああ、また声が聞こえる。世界の終わる直前、いつも誰かが言う。
――いい加減その手を離せ。
せめて、連れて逝ってやれ。
――もう二度とその手を離すな。
早く、世界を創れ。
さぁ――選べ。
世界が終わるその前に。
理樹と額を合わせて、俺はひっそりと微笑んだ。
「なぁ、理樹。―――次は、どんな世界を創ろうか…?」
あとがき…という名の言い訳。
12001hit記念リクを下さった宮本様へ献上っ。ありがとうございましたっ!
え、なんちゅーかこう、久々にダークを書いてみたのですが、何か…恭介的にも理樹的にもハッピーエンド……?(がふっ)
悪人っぽい方が逆にジキルだったりとか考えてみました…。壊れた恭介にはもはや一緒に連れて逝くという考えもないらしいでふ…。
すすすすいませっっ…え、ゲームだと鈴1をクリアすると、倒れた後傍についててくれるのが鈴に代わってしまう訳ですが。
鈴1をクリアせずに居続けると、こんなBADに…と妄想…。い、一応ダークな恭理樹…になってますでしょうか!?
こんなんですが、宮本様に捧げます…煮ても焼いてもお好きにどーぞですーーっ(管理人は逃げたっ!)