シャープを握る細い指。
解き方に迷っているのか、時折動きが止まる。そのまま大きな黒瞳に困ったような色が浮かぶ時には、俺が少しだけヒントを出してやる。
「――理樹。ほら、ここだ」
「あ…そっか。…ん、ありがと」
「どういたしまして」
まぁ実際、ヒントさえ出してやれば、理樹は大概自分で解いていく。この分なら、明日のテストも大丈夫だろ。
数学の小テストという話だが、確か理樹のクラスの数学担任は、基礎さえ押さえておけば解ける問題を出題するタイプだったはずだ。
理樹のノートを覗き込み、出題される範囲と傾向から見て大体は解き終わっている事を確認する。
こんだけやってりゃ十分だな。
さて――。ぶっちゃけ見てるだけってのもな。いい加減暇になってくる。未だ理樹はノートに向かっていたが、…まぁ、少しくらいちょっかい掛けてみてもいいか。
ノートを押さえている左手に、取り敢えず指を絡める。途端に理樹は物凄い勢いで顔を上げた。
何だよ、そんな驚くような事か?
「…恭介?」
「どうした、分からないトコでもあったか?」
「いやそうじゃなくて…」
困った様に理樹の視線が左手へ。
「恭介…手…」
「別にいいだろ、このくらい」
「いやいや、一応ここ教室だしさ…まだ残ってる人とかいるからさ…」
明日のテストに備えてか、まだ理樹の教室には結構人が残っている。大抵理樹と同じようにノートに向かっている奴らばかりだ。
ちなみに、謙吾はいつも通り部活優先、鈴はモンペチ優先、真人は早々にあきらめたらしい。
…ある意味あいつらは勇者だな…。
ま、何にしろ周りの奴らといっても、自分の事で手一杯でこっちなんか注目していない。
「大丈夫だろ、誰も見てないぜ?」
「そ、そういう事じゃないだろ。それに――勉強してるんだから」
「もういいだろ。それだけやってりゃ平気だって」
肩を竦めてそう言ってやったが、理樹はため息をついただけで、同意せずに俺の手から自分の手を離す。
「またそういう事ばっかり…」
「何だよ、信じないのか?」
「そうじゃないけど…でも、やっぱりちゃんと勉強くらいしないと」
「そっか」
はっきりとは口にしないが、邪魔しないでほしい、という事だろう。
理樹の意思を尊重して、俺はとりあえず大人しく手を引いた。
また理樹はノートに向かい、俺は再びその様子を観察する。
相変わらず大きな目だな。睫毛も長い。短めの鼻梁が幼い印象を与える。それから小さめの唇。
頬が柔らかく線を描いて、顎から喉元にかけてのラインは妙に色っぽい。
学ランの中のワイシャツはいつもなら上まできっちり閉まっているはずだが、今日は暑かったせいか、第一ボタンが外れている。
前かがみになると、鎖骨の窪みが若干見えそうで見えない――。
「……恭介」
「ん?」
「あんまりジロジロ見られてると落ち着かないんだけど」
「…すまん」
ちょっとばかり責めるような理樹の視線に、素直に謝っておく。
見るのも駄目か。…いやまぁ、過度に注視しなけりゃ平気か。
一端窓の外に目を向けてから、再度理樹の方をちらりと見遣ると、柔らかそうな髪が目に入る。
ふと、触りたい衝動に駆られた。まぁ…いつも触ってるしな、これなら大丈夫だろ。
何とはなしに理樹の前髪に手を伸ばし、少しばかり跳ねた髪の毛を指に絡ませる。
思った通り柔らかくするりと指を抜けていく感覚に目を細めたのも束の間――。
途端、非難がましい目が俺を睨みつけてきた。
「あのさ恭介。明日のテスト結構大事だって、僕言ったよね?」
「ああ、聞いてる」
「恭介手伝ってくれるって言ったよね?」
「まぁ、言ったな」
「――手伝ってくれるのは嬉しいけど、…邪魔するなら先に帰ってていいからね?」
怒ったようにそう言って、理樹はまたノートに向かう。
っと、しまった。少しやり過ぎたか?
「理樹。怒るなって」
「――」
「理樹」
「――」
……無視と来たか。すっかりヘソ曲げちまったな。
ったく、仕方ない。こうなったら――無視できなくさせてやるか。
「――理樹」
まずは低いトーンで名前を呼んでやる。はっとしたように顔を上げた理樹は、だがやはり無視を決め込むらしくシャープを握る。
「無視してると、悪戯するぞ?」
「――」
「…ホントにするぜ?」
「――」
なるほど。つまり――悪戯してもいいって事か。
無言の返答を都合よく解釈して、俺は早速理樹の頬に手を伸ばす。
指先でそっと撫で上げると、びくりと肩が揺らして理樹は指から逃げていく。
反対側の手で髪を撫でようとすると、こっちは先に邪険に振り払われた。
「……」
「――」
顔を見合わせ、無言で牽制しあう。
俺が顔の方に左手を伸ばした途端、理樹はさっと身を引いた。
それで逃げたつもりか。だが――悪いがこいつはフェイントだ。伸ばした左手を素早く下におろして、シャープを握る理樹の手を掴む。
しまった、というように理樹が小さく瞠目する。
「――甘いぜ、理樹」
「っ…」
理樹が俺の手を剥がそうとした所で、今度は右手をのばす。
慌てて払おうとする理樹の手をかわして、無防備な耳に指を入れた。
「――ぁっ…」
びくりと肩を竦ませた理樹の口から、短く声が上がる。
小さかったが、――ヤバい感じの声、だな。
途端に理樹はカッと頬を染めて、俺の手を払い除ける。
「も、何するんだよっ…」
非難する言葉とは裏腹に、理樹の顔は真っ赤だ。
そんな潤みかけた目で睨まれてもな…。チクショー、やっぱ可愛いな。
柔らかそうな頬を撫でようとすると、途端に理樹は、ノートで俺の手をガードする。
……中々やるな。――が、甘い。脇がガラ空きだぜ。
ノートガードが成功して安心していた理樹の脇腹へ、俺は素早く手を伸ばす。
「っ!?」
びくびくっと理樹の身体が震える。ま、擽りに弱いからな、理樹は。
と思った瞬間、今度はノートが俺の顔面に降ってきた。
それに構わず脇腹を更に擽ってやると、ノートは直ぐにぽとりと落ちる。
「ちょっ…きょうすけっ…それ反則っ…」
「何だ、もう降参か?」
「んっ…やめっ…!」
擽ったそうに身を竦めながら、理樹が両手で俺の手を剥がしにかかる。
そこを狙って、一気に理樹の両手を拘束する。
「あっ…」
「チェックメイトだな、理樹」
捉えた両手を、片手だけで机の上に縫いつける。俺は余裕でもう片方の手を理樹の顎へ持って行き――。
「――お前ら、さっきから何やってるんだ?」
「うわわわわっ!」
盛大な声を上げて、理樹は椅子から転げるように俺から距離を取った。
こらこら、その反応はないだろ。
突然現れた鈴は、手にモンペチの入った袋を提げて、不思議そうに俺達を眺めている。
理樹はと言えば、真っ赤な顔で辺りを見回し、――教室にいる生徒達全員から注がれる生温い視線に、ぴきんと硬直した。
…そういや、さっきから理樹に触るのに夢中で、周囲の事すっっかり忘れてたが…。
いつの間にか教室中の注目を集めていたらしい。
皆ノートに向かってる中で俺達だけ、しかもあんだけ派手に動けば、そら目立つわな。
自分たちの行動を今更ながら思い出したのか、理樹は赤くなったり青くなったり忙しい。そこへ、鈴が腰に手を当て、少しばかりお姉さんのような顔で言った。
「お前ら、いちゃいちゃするなら他所でやれ」
「ち、ちがっ!違うからっ」
「いいや、違わないぞ理樹。そうだな鈴。確かにお前の言う通りだ。お兄ちゃんもそう思う」
「恭介!?」
「ま、鈴もこう言ってくれてる事だし、――余所でいちゃいちゃするか、理樹」
「なっっ!!!」
真っ赤になって声もなく悲鳴を上げる理樹の手を取って、強引に教室から連れ出していく。
「ちょっと恭介っ!?」
「何だ」
「何だって…べ、勉強はっ…!」
この期に及んで勉強か。悠長な奴だな、お前…。
「理樹。悪いが勉強どころじゃない」
「え?え?どういう事…?」
「まぁ――明日のテストが受けられる位には手加減するが」
「って何の話さーーっっ!」
理樹の悲鳴が廊下に響く。
悪いな理樹。
明日は、――俺も一緒にテスト受けてやるから、勘弁な?
あとがき
ユーリ様へ!20000hit記念リクにご参加ありがとうございました!遅くなりましてすみませっ…!!
甘甘な恭理という事でしたが…本人達は至って本気だが周りから見れば単なる馬鹿ップルのじゃれ合い、的な路線にいってみました…。
ほんっとオチもヤマも何にもない単なる馬鹿ップル話に…!甘甘というより…最早こいつら馬鹿だろ、と思っていただければ本望っ…!こ、こんなんですが、よろしければ捧げます…!