One step closer

 恭介は、昔からスキンシップは過度な方だったと思う。
 過度なのは僕と鈴に限定されてはいたようだけれど、だから、今更触れ合いが多くなったってどうという事もない――はず、だったんだけど。
 やっぱり、そうもいかないらしい。
 一応は恋人という関係をお互いに認識してからというもの、恭介は、ちょっとした事でも僕に触れてくる。
 手を繋ぐのは元より、その辺に寝転がる時には膝に頭を載せてくるし、事あるごとに抱き締められたり。
 二人で勉強をしていれば、不意に指が絡んで来て、――キスを、されたり。
 そういう時の恭介は、普段より更にも増して優しく、甘くなる。髪や頬に触れてくる指も、見つめてくる目も、全部があんまり優しくて、こんなに大切にされてどうしようと、僕の方が気を揉んでしまう程だ。
 だけど時々そこに、優しいだけじゃない何かが、過る。
 最初はなんだか分からなくて、でも、最近気付いてしまった。
 僕を見る目に、不意に宿る熱。
 それを表面に出さないよう抑えこんだ、そんな――熱くて静かな瞳。
 そんな時の恭介は、なんだか怖い。
 恭介に触れられるのは、勿論嫌じゃない。それどころか、好きだと思う。
 だけど……。
 僕は恭介が好きで、恭介も僕が好きで、それだけじゃ駄目なのかな。
 優しく触れ合うだけじゃ、駄目なんだろうか…。


          *


「理樹!」
 放課後、荷物を手によたよたと廊下を歩いていたら、声を掛けられた。
 地図やら何やらを抱えたまま振り向いた先には、案の定恭介の姿。
 僕の腕の中の荷物に目を遣って、近づいてくる。
「どうした、それ」
「ちょっとそこで、社会科の先生に会っちゃって」
「教材運べって頼まれたのか」
「うん。恭介こそ、こんなトコでどうしたの?何か用事?」
 この辺りは空き教室ばかりで、あまり人が来る所じゃない。精々が今の僕のように、荷物置き場と化してる教室の一つに教材を仕舞いに行くくらいだろう。
 疑問に思っていると、恭介は軽く肩を竦めた。
「俺の用事はたった今終わったトコだ。お前を探してただけだからな」
 さりげなくそんな事を言って、荷物へと手を伸ばしてくる。
「いいよ、恭介。この位なら一人で…」
「よたよたしてたろ。いいから半分貸せって」
「あ」
 ひょい、と手にしていた教材のほとんどを持っていかれてしまう。
 手元に残ったのは数冊の地図帳だけだ。全然半分じゃないし。というよりも、僕が気兼ねしないように、わざと少しだけ残してくれたんだろう。
「教材仕舞ってんのは、確か突き当りの教室だったよな」
「うん。ありがと、恭介」
「ん?いや別に……そうだな、礼ならキスでいいぜ?」
「――はっ!?何それっ」
「何だ、駄目か?」
「い、いやいや、駄目じゃないけど…」
「そっか。じゃ、決まりだな」
 そう言って、恭介が凄く嬉しそうに笑う。
 う、そんな喜ばれるとなんだか僕の方が恥ずかしいんですけど…。
 昔はこんな遣り取りがあっても「何冗談言ってるのさ」の一言だったけど…今や冗談じゃないんだよね…。
 それでも、僕の手を引いてくれる恭介の、その頼りになる背中は変わらない。
 何となく昔懐かし、の気分を味わいながら、僕は恭介と空き教室へ向かった。


 教材は壁際の所定の場所に収納。
 手前の棚を移動させたりとちょっとした手間はあったけど、元々荷物自体は少なく、ものの五分とせずに仕事は終了した。
「よし、こんなもんだろ」
 棚を元の位置に戻して、恭介が両手をパンと払う。
「助かったよ恭介」
「そりゃ良かった」
「うん。じゃあ、寮に帰ろっか」
 笑顔で言って、僕は出入口の方へ身体の向きを変える。途端に後ろから腕を掴まれた。
「わっ…!?」
「こら理樹。何か忘れてないか?」
「え?」
 振り返ると、恭介がちょっとばかり不満そうに僕を見ている。
 何か忘れ――…あ。
 不意にお礼の話を思い出して、頬が熱を持つ。
 そっか、キス…。でも、ここ一応教室だし。学校だし。
「寮で、じゃ、駄目かな…?」
 ちらりと上目づかいに恭介を伺う。一瞬何かを言おうとした恭介は、だけどすぐに、分かったと頷いてくれた。
 ホッとして、二人で戸口に向かい――まさに扉に手を掛けようと伸ばした所で、足下に転がっていたらしい荷物に引っかかった。
「わっ!?」
 予期せぬ出来事に、扉目掛けて突っ込みそうになる。だけどその前に、伸びてきた腕が僕の身体を力強く後ろに引いた。
「――大丈夫か、理樹」
「ん、ごめん。ありがとう」
 恭介に支えて貰って、どうにか僕は転ばずに済んだ。ほっと息をついて、振り返る。
 思っていたよりずっと間近に――赤い瞳。
「ぁ…」
 どきん、と不意に心臓が跳ね上がる。慌てて視線を逸らして離れようと思ったけれど、一歩も下がれずに木の板に踵がぶつかる。
 更に下がった分だけ恭介に距離を詰められた。扉と恭介に挟まれて、身動きが取れなくなる。
 どうしよう…は、早くそこからどいてくれないかな…。手、もういいから放してほしい…。
 じわりじわりと赤らんでいく頬を見られたくなくて、思わず下を向く。
 そんな僕の様子をどう思ったのか、腰の辺りを支えてくれていた手が、やっと離れて―――流れるように自然に、僕の手首を捉えた。
 え…何…?
 戸惑って見上げると、恭介は薄く微笑んでいた。
 手首がそっと持ち上げられて、肩と同じくらいの高さの所で扉に押し付けられる。両手とも、決してきつくはなくけれど振り払えないほどには強く、扉に縫いつけられる。
 柔らかな拘束。なのに抗えない。眩しそうに細まる赤い瞳に見つめられて、――恭介のその蕩けるような優しい笑みに、思考を奪われていく。
「――理樹」
「っ…」
 そんな――幸せそうな声で呼ばれたら、どうしていいのか分からない。
 恭介の顔がゆっくり近づいてくる。
 どう、しようっ…き、キス…される、のかな…。でも、教室で…人、いないけどでも――。
 恭介の、優しい蕩ける眼差しと表情に、思わずぎゅっと目を閉じてしまう。
 近づいてくる体温。
 恭介の吐息が僕の唇に触れる。重ね合わせるのを迷うように吐息だけが触れ合う。
 緊張に心臓が高鳴って、まるで全身が脈打ってるようにすら感じる。
 僕の唇の横を、恭介の唇が掠めていく。だけどそれは唇から逸れていく。
 それから、頬に、瞼に、優しく触れていくだけのキス。
 くすぐったいような感覚に気持ちが解れていく。緊張が次第にとけて、やがて幸せな心地で目を開いた。
 そこに、――いつもとは少しだけ色の違う瞳。
 無言で僕を見下ろしてくる赤瞳の奥に、ゆらりと熱が籠る。
 今までとは違う、優しいだけの瞳じゃない。堪えるような、耐えきれず溢れそうな、危うくて――どこか凶暴にさえ。
「…きょうすけ…?」
「―――」
 少しだけ怖くなって名前を呼ぶ。だけど応えは返ってこない。
 細まる瞳の奥にちらちらと見え隠れする――ひどく抑えた感情。静かで、けれどどうしようも無いほど激しくも見える。
「――理樹」
 低くかすれたような声は、同時に上擦ってもいて、まるで切羽詰まっているようだった。
 それが何故かを考える前に、恭介の瞳が、不意に抑えがたい凶暴な熱を孕む。
「悪ぃな…」
 突然の台詞に、何がと問う間も無かった。
 不意にきつく手首を握られて、その強さに目を見開いた瞬間――。
「っ――つ!」
 歯と歯がぶつかる。反動で開いた口の中に、無理矢理に舌が入り込んで来る。
 まるで噛みつくような口付け。
 入り込んできた恭介の足に膝を割られて、――要求されているのが、キスだけじゃないと分かってしまった。
「――ん、ぅ…!」
 開いた唇を隙間なく埋めるように恭介の唇が重なって来て、後頭部が扉に押し付けられる。背中に、ガタンと音を立てる木の板の振動。
 乱暴とも思えるそのキスに、怯えた。だけど、まるで逃げるのを許さないように、縮こまっていた舌を吸い上げられる。
 心臓が早鐘を打って、恭介に捉えられた両手の指先が、震える。
 乱暴で、優しいだけじゃないその所作が怖くて――だけど……でも。
「んっ、んん――…はっ…ぁ…!」
 手は捕らえられたままだっだけど、口付けから解放されて漸く恭介を伺い見る。
 切羽詰まったような、耐えきれないような恭介の瞳。見た事のない……それは少年じゃなくて、男の、眼だった。
 ぞくりと背筋が泡立つ。身が竦むような感覚。
「恭介っ…」
「――そんな顔、するな」
「え…」
「煽るなよ」
 熱を孕んだ赤い瞳が僕の顔を覗き込む。端正な顔が、――いつもは涼しい目元が、飢えた欲望を湛えて近づいてくる。
 動けない僕の目尻にキスをして、耳朶に下りていく唇。それから、首筋に吸い付かれる感触を認識した。
 寒くもないのに身体が震えて、悪寒のようなものが足下から這い上がってくる。
 怖いのか――それとも…。

「っ……や…!」

 その瞬間、拒絶の言葉が、勝手に口を突いて出た。
 ギクリと身体を強張らせたのは僕だったのか、恭介だったのか。
 僕も恭介も、その体勢のまましばし動きを止める。――どうしていいのか分からない気不味いような緊張。
 やがて、恭介が困ったような表情で手を放し、ゆっくり僕から距離を取る。
「悪ぃ、理樹」
「あ…」
 違う…恭介が悪いわけじゃっ…!
 慌てて僕は首を横に振ったけれど、済まなそうに眉尻を下げた恭介は、まるで見透かすように言った。
「悪かった。もうこれ以上しない。――怖かっただろ?」
「こ、怖いだなんてっ…」
「けど――肩、がちがちに力入って緊張してるぜ?」
「え、あ…」
 言われてみれば…。
 恭介が離れてくれたのに、緊張しきった身体はまだ硬くなっていて、なんだか動けない。
 縮こまっている僕を見て、まだ怖がっていると思ったんだろう、恭介がもう一歩離れる。
「大丈夫か?」
「うん…」
「そっか。じゃあ寮に帰るか」
 そう言った後、少し迷う様に視線を彷徨わせてから、恭介は僕に向かって手を差し出す。
「手、繋いでいいか…?」
 気遣う様に、遠慮がちにかけられる声。
 恭介の神妙な顔を見つめ返して、僕は漸く肩から力を抜いた。
「うん」
 僕が頷くと、恭介はほっとしたように表情を緩ませる。
 差し出された手に、手を重ねて。
 いつもより少しだけ距離を開いて歩きながら、二人で教室を出て、寮へと帰る。
 僕の手を引いていく恭介の背中を見ながら、ふと、もう一歩だけ距離を詰める。
 背中が近くなって、だけど、まだ少し遠いと思った。
 あともう少し近づくには、あともう少し勇気が必要で、それにはやっぱり、あともう少し時間が必要になりそうだな、なんて思う。
 だから、――まだ、ちょっとだけ待ってほしい。
 なるべく早く恭介の気持に応えられるように頑張るから、だから今は、この一歩だけで。


 その日、僕らはいつもよりちょっとだけ近づいて、寄り添う様に寮へ帰った。

 
 
 
 
 

あとがき
 あまの様へ!15000hit時のリクありがとうございました!はい、もう、一度ゲットしたキリリク権は、発動しない限り永久有効ですから(笑)!
 そして発動ありがとうございますっ!
 君と僕の軌跡蜜月編手前あたりでギリギリな二人、という事でしたが、い、いかがでしたでしょうか…!?
 ある意味恭介が色々とギリギリだ(笑)。One step closer は一歩近付く、という意味で。
 こ、こんなんですが捧げまふーーーっ(そして脱兎っ)

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