月に叢雲花に風

 良く晴れた好天気の、昼下がり。
 お昼の賄い時になるとひょっこり顔を見せる、鬼妖界の馴染は、今日も白いご飯と味噌汁を注文する。
 ランチタイムが終わると店は夜の部まで閉店だが、身内同然の仲間となれば話は別である。
 注文を受けたフェアは、ついでに、新メニューを追加してお盆を運んだ。
「御主人、これは…」
「セイロンに習ったの。金平ゴボウっていうんだって。正確にはゴボウじゃ無いんだけど、この根菜、似た味だから代用出来るって聞いて」
「まさか、金平ゴボウまで食せようとはっ…嗚呼感動です!この味、この食感…まさに金平ゴボウの中の金平ゴボウ!」
 美味い、を連発するシンゲンに、フェアは照れ笑いを浮かべる。
「や、やだなぁ。まぁ、そんな喜んで貰えると、作った甲斐があるけどね」
「もしやして、私の為に作って下さったのですか!?」
「え?ああ、うん。だって、トレイユに来た時はいつもうちにご飯食べにきてくれるでしょ?最近は三日と空けずだし。だから鬼妖界のメニューを増やしてもいいかなって」
 フェアにしてみれば、馴染みの客の好みを把握して、メニューを増やしていくのは至極当然の行為である。
 今でこそ客も多いが、以前、泊り客がいないなりに宿屋を維持していけたのは、そうした努力で繋ぎ止めた固定客がいたからだ。
 シンゲンは、自治区での暮らしが性に合わなかったとかで、今は一人で旅をしながら『三味線流し』を生業にしてる。
 トレイユ近隣の村や町を興行中とかで、最低一週間に二回は、こうしてお昼を食べていくのだ。
「トレイユに泊まるなら言ってね。ウチなら部屋代はいらないからさ」
「そうは参りません。今やミュランスの星ともなった御主人の店で、タダという訳には」
「いいんだって。シンゲンは特別だもん」
「……それは、自惚れても良いという事でしょうか?」
「ん?」
 シンゲンの言葉の意味を捉えかねて、フェアは曖昧に首を傾げる。
 人気の無い店内。
 少し困ったように首を傾げて微笑む少女。
 シンゲンは、いつもの飄々とした笑みでは無く、慈しむような笑みを浮かべた。
 虚を突かれた少女の、無防備な手に触れようと腕を伸ばす。
 刹那。
「店主殿。我の賄いは何時頃かね」
 フェアの背後から気配もなく、角を生やした若者が顔を出す。
「あ、ごめんセイロン。今直ぐ作るね」
「あの、御主人っ…」
「おお、これはシンゲン殿ではないか」
 何とも白々しい台詞を、如何にも最もらしく披露してみせたセイロンに、シンゲンは口元だけの笑顔を向ける。
「お久しぶりです」
「いやいや、三日と空けずに通っておるものを、久しぶりなどとは言うまいよ」
「自分は御主人には会っておりましたが、貴方にはとんと会っておりませんで」
「そうであったかな。それはすまぬ事をした。我も忙しくてな」
「いえいえ、自分は御主人のご飯が食べられれば十分ですから」
「はっはっはっは。そうか」
「あははは。そうですとも」
 会話の表面だけを見れば、ひょっとして好意的と取れない事もない。事実フェアは、仲がいいんだな、と一人平和に納得していた。
「じゃ、私セイロンのご飯作っちゃうね。あ、それとシンゲン?」
「はい?」
「泊まるなら、ホントにウチに泊まっていってよね」
「ありがとうございます。ですが、部屋が空いていないでしょう。今や大人気ですからね」
「大丈夫、セイロンの部屋に泊まればいいよ!ね、セイロン?」
「うむ。我は構わぬよ」
 大仰に頷くセイロンと、純粋に好意を向けてくるフェアに、シンゲンは頷き返す。
「では、その時には是非」
「うん!」
 嬉しそうに厨房へ去っていくフェアを見送りながら、シンゲンは口元だけの笑顔を崩さず、言った。
「それで、私が貴方の部屋に泊まりますと、貴方は何処にお泊りで?」
「野暮を聞くでないぞ」
「これはこれは。では、やはり自分がここに泊まる訳には参りませんねぇ」
「何、我らの事なら気にするな。存分に泊まってくれてよいぞ。寧ろ、歓迎だ」
 夜分にフェアの部屋を訪ねる、良い口実が出来るというものだ。
 無論その意図を察しているシンゲンが、泊まれるわけも無い。交わす二人の視線がバチバチと静かに火花散らす。
「私は、御主人の顔を見られれば満足ですから」
「そなたも往生際の悪い男よ。サムライとは潔いものではなかったかね」
「いやいや、偲んでこそ恋。生涯只一人を想い続けるがサムライにござんすよ。それに」
 言葉を切って、シンゲンは金平ゴボウに視線を移した。
「案外、全くの脈なしでもないようで」
「……」
 それに関しては、セイロン自身が軽くショックを受けた事実でもある。
 つい先日、鬼妖界の料理を教えて欲しいと、フェアが言って来た時は、喜んで教えたやったセイロンである。
 しかし、習い終わったフェアが一言。
『シンゲン喜んでくれるかな』
 他意はなかったのだろう、無かったと思いたい。
 現在居候を決め込んでいる身としては、客の為にフェアが努力するというなら、助力を惜しむつもりは無い。
 しかし、面白く無いものは面白くないのだ。
『それはどういう意味かね、店主殿』
『え?シンゲンって鬼妖界の出身でしょ?ウチにも頻繁にきてくれるしね。だから鬼妖界のメニュー増やすつもりなんだ』
 そう言ったフェアの、何とも嬉しそうな顔が、未だセイロンの中で燻っている。
 セイロンは、ちらりと金平ゴボウの皿に視線を流しただけで、殊更興味も無さそうに呟く。
「別段、珍しくもなかろう。店主殿は客を大事にするゆえな」
「そうかもしれませんが、やはり嬉しいものです」
「ではせいぜい、客として大事にされるがよい」
「おやおや、至竜を目指そうとも言うお方が、金平ゴボウ一つに悋気とは大人気ないですねぇ」
 勝ち誇ったように言うシンゲンも大分大人気ない。
 だが、その顔から、ふと笑みが消えた。
 どこか滑稽な雰囲気が、がらりと変わる。
「ですが本当に、至竜を目指すお方が、何故未だここにおりますか」
 鋭い殺気の篭った眼光。
 セイロンは、それを冷やかに受け止める。
「そなたには関わり無いことよ」
「果たしてそうですかね。…アンタがいつか去るというなら、私はその時、ここに泊まれるという訳で」
 おどけたような口調とは裏腹に、シンゲンの殺気が薄れることはない。対峙するセイロンは落ち着いている。
「ならば泊まるがよいぞ。その時には、我らはおらぬであろうがな」
「――連れてゆく、と?」
「さて」
「まさか本気ではないでしょうに」
 試すようなその言葉に、セイロンは酷薄な笑みを刷いて、同郷の仲間を見返した。
「我は、一時の戯れとやらは性に合わぬでな。いずれといえど、単身鬼妖界に戻るつもりなら、元よりここに留まってはいまいよ」
「…成る程。やはり、それだけの覚悟を決めていましたか」
 シンゲンから殺気が霧散し、次いで盛大な溜息。
「貴方が、御主人の宿に世話になっていると噂を聞いた時から、嫌な予感はしていたのですがねぇ」
 先の先を読み、人心を見極め、物事の掌握に長けた龍人族の次期長が、龍姫探しを他人任せに、フェアの宿で手伝いをしている――その時点で、薄々シンゲンは感づいた。
 セイロンは、フェアをこの世界から攫うつもりだと。
 セイロンに匹敵するだけの考察力を持つシンゲンにとって、その予想は容易かった。
 フェアの宿に居候するセイロンを、周りの仲間達が「セイロンって変わってるから」の一言で済ませている理由がわからない。
 責任感のある真面目な一面と、変わった言動に惑わされている者達も多いが、この男の本性は間違いなく最悪だ。
 リシェルなどは、シンゲンのおどけた一面だけを見て、フェアに近づくなと危険人物扱いすることもあるが、セイロンには多大な信頼を置いている。
 曰く「ちょっと変わってるけど、真面目よね」である。
 しかし、その一見真摯で真面目な顔の下で、どんな智略謀略欲望が渦巻いているかと思うと、空恐ろしいほどだ。
 彼は生半可な事では動かない。その代わり、一度成すと決めたらその為にはありとあらゆる策を弄し、手管を惜しまず成し遂げる。
 その彼が、今フェアの元に身を寄せている。
 これが、一時の戯れであるはずが無い。
 この男のフェアへの渇望は、おそらく人智の理解の範疇を超えているのだろう。
 はてさてどうしたものやら。
 負けるつもりはとんと無いけれど、勝ち目はとんでもなく薄そうだ。
「いざ尋常に勝負、といきたい所なんですけどねぇ」
「我は構わぬよ」
「金平ゴボウだけでは、なかなか厳しい仕合でござんすよ」
「?」
「いやいや、先ずは金平ゴボウだけでもよしとしましょうか。何と言っても」
 シンゲンは、脇に持っていた三味線をベベンと弾いて、セイロンにバチを突きつけた。
「勝負はこれから、でござんすよ」



 程なくして現れたフェアは、店内にセイロンだけを発見した。
「あれ、シンゲン帰っちゃったの?」
「ああ。先ほどな。…我だけでは不満か?」
「はぁ?訳わかんないこと言ってないで、ご飯食べよ!」
 フェアは、言葉どおり落胆など欠片も見せずに、セイロンの手を引っ張る。
 早く早くと急かされるまま厨房に入れば、そこには、先日セイロンが教えた、鬼妖界の料理の数々。
「これは何とも…凄いな」
 どう考えても、賄いレベルの料理ではない。
「ね、食べてみて?」
「ああ、しかし店主殿」
「なに?」
「これは、シンゲンの為に作ったのではないのかね?」
「へ?シンゲン?」
 どうしてここでその名前?と、フェアの顔には困惑がはっきり書いてあった。
 だが、直ぐにその頬に朱が散り、フェアはコクコクと盛大に頷いた。
「そそ、そうだよ!?シ、シンゲンに出す前にセイロンに味見して貰おうって思ってっ」
 別にセイロンの為に作ったわけじゃっ、といらぬ発言までして、フェアは耳まで真っ赤になった。
 そういえば、とセイロンは先日のことを思い返す。
 フェアに料理の手解きをしている間、始終彼女は言っていたではないか。
 『無理に難しいのとかじゃなくて、その、セイロンの好きな料理でいいからね』と。
 つまりは、都合よく使われたのは自分ではなく、シンゲンのほうだった、という訳だ。
 なるほど、確かに『金平ゴボウだけでは厳しい仕合』だ。
「そうか」
「な、何よ」
「我の為か」
「ち、違うってば!?」
「はっはっは。そう照れるでないぞ、店主殿」
「だから違うってば!」
 しかし、真っ赤な顔の否定にどれほどの意味があろうか。
 セイロンは愉快そうにフェアを眺めるばかり。
「も、もうっ。そんな事はどうでもいいから、早く食べるよっ?」
 つっけんどに言い捨てて、フェアはテーブルに着く。
 いまだ幼く、本当の恋など知らぬであろう少女を、セイロンは優しく見つめ、そっと傍に寄る。
「――店主殿」
「な、なにっ…?」
「…我は、本当に嬉しいぞ?」
「っ…」
 耳元で囁くや、ますますフェアの頬は上気し、二人の間に仄かな恋の空気が満ちた――その時。
 カラン、と扉が鳴った。
「あ、お客さんだ」
 ぱっと立ち上がるフェアに、セイロンは苦笑する。
「月に群雲花に風、か。店主殿には客よな」
「何、それ?」
「好事には邪魔も多いという事だよ」
「??」
 首を傾げる少女に、セイロンは店内を扇子で指し示す。
「客が来ておるのだろう?」
「あ、うん!」
 振り返った働き者の少女は、団体客の一行を目にして、大慌てで駆け出していく。
 再び店内の喧騒へと戻っていく少女の後姿を眺め、セイロンは目を細めた。
 艶やかに笑む口元を扇子で隠し、
「そなたを愛でるには、随分とまた邪魔者が多そうな事よな」
 どこか楽しそうに呟いたのだった。
 
 
 
 
 
 

あとがき
 サモナイ4。若好きだったんですよ、若〜!

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