最愛なる猫へ3

 呪術師は、三日前と変わらず、ライが庵に入ってきても振り返ろうとはしなかった。
「なんじゃ、今度は白いのか。何用じゃ」
「コノエが来ただろう」
「それだけで焼き餅とは、ほんに嫉妬深い猫じゃのう。コノエも大変じゃ」
「ふざけるな。コノエは何処だ」
 つ、と呪術師が、表情の無い目をライに向ける。
「帰っておらんのか」
「――いつ、コノエはここを出た?」
「数刻前じゃな。お主と祭りを見るとはしゃいでおったが」
 いくらコノエでも、この庵から藍閃までは迷わないだろうし、宿までの道筋だけは覚えていたはずだ。
 あの猫の事だから、恐らくちょっとぐらいならと、一人で祭りの屋台にでも行ったのだろう。
 そのままふらふら波に流されて――後の事は想像に難くない。
「あの馬鹿猫っ…」
 あれほど一匹では出歩くなと釘を刺しておいたのに。
「――邪魔をしたな」
「これこれ、そう急くでない。お主に言っておくことが、二つばかりある」
 呪術師の言葉に、ライは足を止めたが、その眉間には皺が刻まれる。
「何だ。話なら早くしろ」
「相変わらずせっかちな雄じゃのう。まあよい。先ず一つ目じゃ」
 ゆったりと指を一本立てる。
「お主も、もう少し己の賛牙を信用せい」
「言われるまでもない」
「そうではない。コノエとはまた違う意味で、お主も分かっておらんのう。お主らほどの番なら、相手を深く想うのは当り前だが、過ぎると相手が見えなくなる、と言っておるのじゃ」
「どういう意味だ」
「やれやれ。これ以上言うては野暮というものだが…。コノエは、お主が思うより強く、本人が思うよりは弱い、という事じゃ」
 相変わらず、呪術師は謎掛けのような事を言う。
 眉を顰めるライには構わず、呪術師は話を続ける。
「二つ目は、来威のことじゃ」
「!何かわかったのか」
「昨晩、類稀な生粋の賛牙の存在を聞きに、連中がやってきたのでな」
「――コノエの事を」
「何も話してはおらんよ。お主らと違って面白くもない猫達じゃ。奴らに聞かせるような話は、持ち合わせておらん」
 静かに、だが有無を言わせぬ拒絶の意志を感じ取り、ライは僅かに目を見開く。
 自分たちが初めて足を運んだ時、呪術師は胡散臭くはあったが、こちらの話を聞き、協力と助言を惜しまなかった。
 万人にそうである猫だと思っていた。
 呪術師の唇が薄く弧を描く。
「――お主らは特別じゃよ。わしはこれでも、猫を見る眼はあるのでな。…来威は、血族結婚で血が濃くなりすぎておる。それもあって、外から生粋の賛牙を一族に取り込む事を、前から算段しておったようじゃな」
 そこに、稀に見る優秀な、生粋の賛牙の噂。
 飛びつくのも無理は無い。
「コノエに何かあったとしても、慌てるでない。来威が、あの貴重な猫を手に入れようとしておる内は、コノエに害を与える事は無い」
 だがそれは裏を返せば、手に入らなければコノエに害を為すという事だ。コノエは、『貴重な賛牙』ではなく、来威を脅かす存在として付け狙われる事になるだろう。
「――わしの話はこれだけじゃ。もしまた何かあったら、いつでも訪ねてくるがよい」
 呪術師は、そう言うと、いつものようにライに背を向けた。
「――次は、コノエと来よう」
 礼の代わりにそう告げて、ライは庵を出た。



 一度バルドの宿に戻ったが、コノエは帰っていなかった。祭りの猫込みを探し、いつもの酒場にも出向いたが、未だに何の手掛かりも見つけられない。何かあったと考えるのが普通だろう。
 ――やはり、来威か。
 コノエを一匹にすべきではなかった。今更後悔してももう遅い。下手に動くなと、呪術師は忠告してくれたが、だからといって静観している気はない。
 藍閃中の情報屋をくまなく当たれば、玉石混合ではあろうが、それなりの情報は得られるはずだ。
 どうしようもなく世話の焼ける己の番。心配をかけるにも程がある。賛牙なら賛牙らしく、闘牙の傍にだけいればいいのだ。他のどこにも行かず。
 ――俺の傍にだけ、在ればいい。
 己の賛牙を探し、白銀の闘牙は夜の街を彷徨い続けた。



 コノエが連れて行かれたのは、年季の入った重厚な建物だった。身分の高い者が住まう屋敷である事が、昜として知れる。連れて来られた広間の天井からは、二つ杖の時代に使われていたであろうシャンデリアが、そのまま使用されていた。
「ここ、何処だよ」
「何だ知らねぇのか?ま、直ぐに分かるさ」
 斑猫は軽薄そうに笑う。賞金稼ぎが、おいしい仕事で依頼人から金を巻き上げる時の笑みに似ている。
 嫌な予感がしつつコノエが黙って待っていると、広間の奥から、真っ白な衣装に身を包んだ猫が現れる。
 斑猫が、さっと背筋を正した。
「これはこれは!副賛牙長御自ら御出まし下さるとは!」
「副賛牙長…?」
 コノエは驚いて目の前の猫を見つめる。
 では、これは来威の猫なのか。副賛牙長といえば相当に高い地位にある。もっと年老いた老猫を想像していたが、コノエの前にいる猫は、若いとは言えないまでも、決して老猫ではなかった。
「それが、噂の賛牙か?」
 低く張りのある声は、少しライに似ていて、コノエはひとり動揺する。
「は!最近噂の、ライって賞金稼ぎの番です」
「ライとやらはどうした」
「さぁ…こいつ一匹で歩いている所を連れて来たんで」
「では、この賛牙がここにいる事は知らないのだな?」
「そりゃ勿論!」
 副賛牙長は満足そうに頷く。
「賞金はギルドで受け取れ。話は通しておく」
「は!」
「分かっているとは思うが、――この事は他言無用だ。他に関わった猫達にも、よく言っておけ」
「お約束します!」
 ホクホク顔で調子よく相槌を打ち、斑猫はそそくさと屋敷を出て行った。
 残されたコノエは、副賛牙長を睨みつけた。
 父の死に関与した来威一族の猫だと思えば、自然態度も刺々しいものになる。
「俺に用って、何だ」
「生意気な口を。お前に用があるかどうかは、能力次第だ」
 その言葉と共に、何処から湧いてきたのか、広間に数匹の猫が散る。
「な、何…?」
「歌え」
 副賛牙長の命に従って、猫達が目を瞑るや、辺りに光が溢れる。
 賛牙だ。こんな一度に沢山の賛牙を見たのは初めてで、圧倒される。
 だが、一体何をしたいのか。
 戸惑うコノエに、歌が纏わり付いて来た。
「?」
 光の粒が肌の上を滑り、身体に染み込む。戦いの歌だ。すうっと精神が高揚し、身体が軽くなる。
 コノエの様子を見ていた副賛牙長は、明らかに不快な様子で眉を顰めた。
「所詮噂か。生粋の賛牙というからどれ程のものかと思ったが…」
 小さく呟く。これ以上は無駄だと、歌を止めさせようとした矢先――それは起こった。
 聞いたこともない美しい旋律が、確かに聞こえた。
 気分の高揚したコノエが、賛牙達の歌に触発されて、少しだけ歌ったのだ。
 コノエにしてみても、歌おうと思った訳ではなく、思わず漏れてしまったという程度だ。
 だが、副賛牙長は目を見張る。
 これだけの賛牙の歌の中で、思わず歌った程度の旋律が――はっきり聞こえたのだ。まるで、濁った水に差し込む一条の光のように。その美しい旋律に比べれば、今聞こえている猫達の歌など、雑音に等しい。
「これが、生粋の賛牙の力か…!」
 感嘆し、副賛牙長は手を振って、猫達の歌を止めた。コノエに向き直る。
「もう一度、歌ってみてくれないか」
「え?」
「もう一度だ」
「――でも、俺は…」
「己が闘牙の為にしか歌わない、か?それでいい。闘牙を想って歌え」
「……」
 偉そうな口調が、少しばかり誰かと似ている。声が似ているからそう感じるのかもしれない。
 いきなり連行されて不満はあったが、どこか逼迫したような副賛牙長の様子に、コノエはしぶしぶ目を瞑る。
 歌わなければ、解放されそうもない。
 副賛牙長が何を考えているのか分からなかったが、思いの他若い猫だった事と、少しばがりライに似ているような気がした事もあって、持ち前の反発心は形を潜めていた。
 無論、副と謂えど賛牙長の名には抵抗がある。だが、来威の猫全てが父の死に関与した訳ではない。心無い一部の猫の仕業だ。
 来威という名だけで相手を否定する事はしたくない。コノエ自身、火楼の村で理不尽に否定されてきたからこそ、尚の事そう思うのだ。
 それに――今はコノエ自身歌いたい気分だった。
 先程の賛牙達の歌に触発され、気持ちがどうしようもなく高揚していた。
 閉じた瞼の裏に、白銀の闘牙の姿が浮かぶ。歌は、自然に身体の奥底から溢れ出してきた。
 戦いの歌ではない。ただ、相手を想う歌だ。
 傍にいない最愛の闘牙を想って歌う。それは少し切なく、哀しい程美しい旋律。
 周りにいる賛牙達が、コノエの歌に目を見張る。それは副賛牙長も同様だった。
 生粋の賛牙の歌を聴いた事が無いわけではない。だが、これほどの賛牙を、彼らは見た事が無かった。
 コノエは、少しだけ歌って気持ちを鎮めた。元より長居するつもりはなかったし、歌ったら解放してくれるだろうという、安易な気持ちもあった。
「――」
 歌い終わって、目を開く。辺りを見回し、猫達が呆然としている事に、コノエの方がたじろぐ。
「な、何だよ…」
 普通に歌っただけで、驚かれるような事は何もしていない。
「とりあえず、歌ったからな。これでいいんだろ?用が済んだなら、俺帰るから」
 そのまま踵を返そうとしたところで、腕を捕まれる。
 副賛牙長だった。振り払おうとコノエは腕を動かしたが、びくともしない。
「放せよ…!」
「お前だ」
「え?」
 爛々と光る眼が眉を顰めるコノエを捉え、そして言った。

「やっと見つけた。お前しかいない。――我々を救えるのは」

 
 
 
 
 

あとがき
 元々すげー長文だったのをぺこぺこ修正しながら小分けにしてるせいで、どこで切っていいのか分からない(笑)
 そしてオリキャラまで出しておいて設定を忘れかけている危機。

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