終業の鐘と同時に、デスクの書類を片付ける。
いつもならもうしばらく粘って、キリのいい所までこなすトコだが、今日は特別だ。
さっさと帰り支度をした俺に、隣の席の同僚が顔を上げる。
「何だ、もう帰るのか棗」
「まあな」
頷いた俺に、同期の山下は右手でグラスを持つ真似をする。
飲みに行かないかと誘う声に、悪いなと断りを入れれば、一瞬妙な顔をした後、ニヤリ、と山下は笑った。
「何だ、もしかしてアレか。例の同棲生活、ようやく開始か?」
「ま、そんなトコだ」
「そらごちそーさん。…明日遅刻すんなよ?」
「努力はするさ」
冗談めかした遣り取りを交わして、俺は先に退社する。
家に帰れば可愛い嫁が待っている――そう思えば、自然足も速くなる。
卒業の時に結婚式まで挙げたが、それから一年は離ればなれの遠距離だった。事実上、本日が俺と理樹の新婚生活初日って訳だ。
一緒に暮らすのは初めてだもんな。そうか、これが新婚生活って奴か。くっそ、ヤバいな。顔がニヤけそうだ。
晩飯は外で食べる事になると思うが、どこにしようか。
そう考えた所で、携帯が震えた。取り出すまでもなく、すぐに収まる。
メールだな。確認してみると、送信者は――理樹か。
件名 : お仕事お疲れさま。
本文 : 夕飯出来てるから、一緒に食べようね。
「―――」
ヤバい…ヤバいぜ。――落ち着け俺っっ!!
こんなトコで「ひいぃやっほぉぉぉ!」とか絶叫は駄目だろ。耐えろっ。一人でニヤけるのも止せ。
堪えろ。駐車場まで耐えとけ。何だこりゃ我慢大会か?
つーか………耐えられっかチクショーっっ!
「よっしゃぁぁぁーっ!」
会社のロビーのど真ん中。
ガッツポーズで叫んだ俺に、周りの連中がぎょっとしたような視線を向けてくる。
構うもんか。見たい奴は見ろよ。嬉しいもんは嬉しいんだよっ。
この幸せが分かるか?チクショーお前らにも分けてやりてぇぜ!
何なら肩組んでスキップしてやろうか。つーか一人スキップでもいいけどな!
待ってろよ理樹っ今すぐ帰るからなっっ!
アパートの階段を二段飛ばして駆け上がる。鍵をポケットから出すのももどかしい。
そんな勢いで俺はドアノブを回した。出迎えてくれるのは勿論理樹の笑顔。
「あ、お帰り恭介」
「理樹!ただい――」
「よぉ恭介。遅かったな。先に飯食ってたぜ?」
「遅いぞ、恭介。折角の理樹の手料理が冷めてしまうだろう」
「理樹。あたしの分の卵焼き、もうないぞ」
「少年、酒はどうした?」
「理樹くん、お料理上手っ!…だねぇ」
「わふーっ。おダシがきちんと取ってあるのですっ。これは昆布と鰹節でしょうか」
「ここが直枝さんと恭介さんの新居、ですか……(ぽ)」
「ここはやっぱり、後でエログッズとか探してみなきゃですヨ!あ、理樹くーん、唐揚げもう一個貰うねー!」
「おっズレェぞ三枝っ。理樹っ俺ももう一個!」
「はいはい、いいよ。あ、謙吾味噌汁お代わりする?」
「うむ。すまんが頼む」
「―――ってお前ら何人ん家で寛いで飯食ってんだよっっっ!」
思わず叫んだ俺に、全員が不思議そうな目を向ける。
「何だよ恭介。前にいつでも来いって言ってたろ?」
「心配するな、食材なら有る程度俺達で持ち込んだ物だ」
「あたしも少し手伝った」
「酒も勿論持参だ。恭介氏の部屋にあった物にも多少手はつけたが」
「皆で食べるとねぇ、ご飯って美味しいですよ?」
「そうですそうです。とってもデリシャスなのですっ!」
「直枝さんは料理上手です。…いいお嫁さん、ですね…」
「恭介さんが羨ましいですヨ!いーなーいーなー。はるちんも理樹くんお嫁さんに欲しかったデスヨ、ちぇー」
それはやらんが。というか、そういう事じゃなくてだな…。
そりゃ確かにいつでも来いとは言ったがな?一応新婚生活初日だったりするわけだが、そこに対する遠慮とか気遣いはないのか…?
無いんだろうな…。
「ね、恭介。早くごはん食べよう?」
眉間に皺の寄ってるだろう俺の顔を覗きこんで、理樹が小首を傾げる。
腹が空いて不機嫌になってるとでも思ってるんだろう。
傍若無人な来訪者達は相変わらず我が物顔で部屋を占拠しているが、まぁ――楽しそうだ。
理樹も嬉しそうだし、皆いるってのもそれはそれで有りか。
「――そうだな、じゃ俺も飯貰おうか」
「うん。そっちで待ってて。今ご飯よそってくるから」
「―――」
いそいそとキッチンに向かう後姿を見送って、俺は何とも言えずに、口元を手で覆った。
いやあれだ。勝手に顔がな、ニヤけて困るんだが。…くそ、可愛いな。
追って行ってこのままキッチンで…――人がいなけりゃな…。ま、今は仕方ない。
大人しく皆の集まるテーブルに向かう。というか、そのテーブルはどうしたんだ。
うちにあったのは確か、二人から三人用ぐらいの小さい奴だったはずだが。
あとは鍋に食器に――増えまくってるなおいっ!
「来ましたネー恭介さんっ。まぁ飲んで下さいヨ」
「ってこれ俺のトコにあった奴だろ!というかまだ未成年だしな?」
「やはぁ細かい事は気にしなーいっ!呑んで洗い浚い全部吐かせてやるのだぁー!」
何の話なんだか…。
すでに酒が入っているのか、三枝は上機嫌で唐揚げを片手にグラスを傾けている。
その横で、能美と西園が俺をじっと見上げてくる。
「どうした、二人とも」
「わ、わふーっシーツを部屋干しする時はそれ用の洗剤を使うといいのですっ」
「何?」
「――真っ昼間から、というシチュエーションも萌えますよね…」
「……あ」
しまった、そうか。…シーツ、汚しちまったもんな…。こいつらに見つかったか。まぁ…今更隠す事でもないが。
俺が苦笑で肯定を示すと、来ヶ谷が不意に視線を寄越してくる。
「恭介氏。寝室に盗聴器というのはどうだ」
「それは断る」
どうだじゃないだろう。隠す事じゃないが、公開することでもないからな?
というか既に仕掛けてたりしないだろうな!?
不審を抱く俺に、全く関係のない所から声が掛かる。
「はーい!恭介さんに質問です」
今度は小毬か。なんとなく、全員少しばかり酒が入ってないか?
「何だ、小毬。言ってみろ」
「恭介さんは、お料理しないんですか?」
「そうだな。ま、あんまりな」
頷くと、小毬の隣にいた鈴が顔を上げる。
「フライパン一個しかないとか、お前やる気無さすぎだ」
「仕方ないだろ。男の一人暮らしなんてそんなもんだ」
「料理とか全部理樹に任せる気だろ。ダメだぞ、今どきそんな男モテないからな」
偉そうにそう言ったあと、鈴は小毬にニコリと笑いかける。
「あたしとこまりちゃんは、ちゃんと交替制だ」
「うんっ。あと、一緒にお菓子作ったりしようね」
ちりん、と頷く鈴は満面に笑みを浮かべている。
そっか。小毬と一緒に住むんだったな。良かったな、鈴。
「小毬」
「はい?」
「うちの妹、よろしく頼むな」
「大丈ー夫!よろしく頼んじゃって下さい!りんちゃんの事は、私が責任もって預かるよー」
「うにゃっ!?じゃ、じゃあ、こまりちゃんはあたしが責任もって守るっ」
がしっと小毬の手を握る鈴に、小毬がきょとんと首をかしげ、ついでほわりと破顔する。
ま、いいペアじゃないか。小毬と一緒なら安心だ。
俺が微笑ましく二人を見守った所で、真人が身を乗り出してくる。
「な、な、恭介!俺大学受かったんだぜっすげぇだろっ」
「ああ、良かったな」
「でよ、俺の受かった学部ってよ、…何するトコか分かるか?」
「―――知るか」
「何だよ冷てぇな!謙吾っちも何か言ってくれよっ」
「悪いが俺も恭介に同感だ。お前…馬鹿だ馬鹿だと思ってはいたが、そこまでだったとはな」
「そこまでって何だよっ」
この二人はまた相変わらずだな。
騒がしい最中、理樹がご飯やみそ汁、焼き魚を載せたお盆を俺に運んでくる。
目が合って、俺が小さく微笑むと、理樹は少しばかり赤くなって目を逸らす。
そこを目敏く三枝に見つかって突っ込まれ――。
何ともハイテンションなどんちゃん騒ぎの内に、夜は更けていった。
結局、騒ぐだけ騒いで、皆が帰ったのは九時過ぎだった。
寮組は、先に部屋を借りていた奴らの所に泊まるらしい。真人は謙吾、女子組は鈴と小毬の部屋だ。
別に俺のトコでも良かったんだが、一応は気を利かせたんだろう。全員を車で送り届けて俺が部屋に戻って来た頃には、時計はもう十時を指す所だった。
帰ってくると、散らかり放題になっていた部屋の中は、綺麗に片付いていた。
流石は理樹だ。片付けに関しては完璧且つ迅速だな。
「理樹、疲れたろ」
「僕は大丈夫。恭介の方こそお疲れ様」
「ああ。にしてもあいつらいつ来たんだ?」
「うーんと、夕方かなぁ。来ヶ谷さんから突然連絡あってさ。ドア開けたら全員いるんだもん。驚いたよ」
思いだしたのか、理樹はクスリと笑う。
理樹の話では、その後夕食を作るという流れになって、調理器具の足りなさに皆で近所のスーパーに繰り出し、色々買い込んだらしい。
しかしテーブルやら鍋やら食器やら、いきなり大量に増えたな。
食器棚には、ちゃんと人数分の茶わんや箸がしまわれている。飯食いに来る気満々だな、あいつら。
が、楽しそうに後片付けしている理樹の姿をみると、それもいいか、と思わさる。
まぁぶっちゃけ、お前が笑っていれば俺はそれがいいんだ。もっとも、俺も楽しかったけどな。
洗い物をする理樹の姿を、眼を細めて見つめる。と不意に、理樹が振り返った。
「あ、そうだ恭介。皆がね、恭介にってプレゼント持ってきてたよ。見てみれば?」
「プレゼント?俺にか」
「うん。ソファの横にあると思うから」
「へぇ」
あいつらが俺にか。そりゃ楽しみだな。
キッチンから居間へ移動して、ソファの横を覗き込む。一応プレゼント用らしく、リボンで口を縛ってある大きな袋が一つ置いてあった。
結構沢山入ってるな。袋を開いて中身を適当に取り出してみる。
「まずは…絵本か」
こいつは小毬だな。どうやら自作の奴らしい。
題名は『あかぺんぎんちゃんとぐりずるさん』。…どっかで聞いたような題名だな。
小毬の事だから、ハッピーエンドバージョンに変更されてるんだろう。ま、後で読んでみるか。
「次は――モンペチか。鈴だな。」
というか何でモンペチだ。
「でこっちは鉄アレイか。真人しかいないな。ん?こいつは何だ?…”精力まむし酒”…来ヶ谷か」
これ以上俺に精力をつけさせて何がしたい。理樹が大変な事になるぞ?
とりあえず次を手に取ってみる。分厚い本だ。ま、本なら西園だろう。
「えーと、――”マンガで読む四十八手”」
……いや、だから何がしたいんだお前ら。――まぁ…後で読んではみるが…。
さて、次は、こいつを開けてみるか。薬局の袋に包まれていた箱を取り出してみる。
「なになに?”明るい家族計画”…」
って誰だよこれ!コンドーム100psってな…ん?カード付きか。
”ちゃんと避妊はしておけ。謙吾”
――いや、お前なんか根本的に著しく間違ってるだろ…。けどまぁ、使った方が理樹の負担は減るわな。
ありがたく貰っておくか。で、あとは…何だこりゃ。でかい缶詰か?
袋に残っていた最後の一つを取り出して見る。表面に刻印されているのは”夜の秘密缶詰”の文字。
妖しさ満載の缶詰だな。なんつーか…絶対そっち系のアイテム入りだろ。
表面的には何もないが、とりあえず蓋を開けてみる。
中には――なんつーか、色々入っていた。どっかのエロ雑誌で誰でも一度は目にするような、言うなれば夜の道具一式って奴か?
これ、どうすんだよ…使えってのか。
「……」
一瞬脳裏に、理樹のあられもない姿が浮かぶ。――落ち着け、俺。
そりゃまぁ…使ってみたくないとは言わないが………ま、そうだな…その内な。
おっと、こっちもカード付きか。
中に入っていた赤いメッセージカードを取り出してみる。
名前は連番で、三枝、能美、鈴……りんっ!?
「んなっ!?」
「わっ…急にどうしたの恭介?」
「いやっ何でもない何でもないぞ!」
俺の声に驚いた理樹がキッチンから顔を覗かせたが、それに慌てて手を振って、戻るよう促す。
…ふ、俺とした事がつい動揺しちまったが、分かってるさ。その手には乗らないぜ?
鈴からはすでにモンペチがプレゼントされている!抜かったな、三枝。どうせ俺を騙して慌てさせようって魂胆だろうが、爪が甘いんだよ。
ま、一応カードのメッセージは見ておくか。
”クドリャフカですっ。大人っぽいものを、という事で、アダルトな缶詰なのですっ!”
こいつは単に”アダルト”という大人っぽい響きに惹かれて、三枝の話に乗っただけだな。
多分、中身が何なのかも知らない可能性が高い。
”はるちんデスヨ〜。や、ま、理樹くん壊さないようにして下さいネ?…ムフフ!”
…そう思うならこんな妖し気なもんプレゼントするなよ。
”妹だ。まぁ何だ。よく分からんが頑張れ。あと、はるかに入れとけって言われたから入れといたけど、モンペチはプレゼントじゃないから食べるな”
「―――」
兄ちゃんとこに戻って来いっっ鈴っっ!!
ちくしょーあいつらっ!
思わず俺が握り拳を作った所で、洗物を終えた理樹が居間にやってきた。
「恭介。プレゼントどんなのだった?」
あどけない笑顔で近づいてくる理樹の姿に、思わず散乱するものを隠そうとしたが――隠せる量じゃない。
咄嗟に出来たのは缶詰の蓋を被せる事位だったが。
「何?そのでっかい缶詰」
逆に、理樹の注意を引いちまったな…。まぁ、何にしろ一番目に付くしな…。
表面的には文字しか記されていないから、ぱっと見た目は何なのか分からない。
他のプレゼントの傾向をみれば中身の検討は付くだろうが、理樹は何も知らないまま缶詰を持ち上げる。
「わ、結構重いね」
「…見ない方がいいんじゃないか?」
「見ちゃ駄目な物?」
「いや、駄目とは言わんが…」
「じゃあ見せてよ。何かクリスマスの時とか、こういう大きい缶詰のお菓子とか玩具とかの詰め合わせ、あったよね」
楽しそうに言ってカパンと蓋を開け――理樹はそのままの姿勢で凍り付いた。
俺は硬直している理樹の肩を、ポンと叩いてやる。
「まぁ…玩具と言えない事もないぜ?…大人の、だが」
「なっ…なっ…!?」
「どうした理樹。――何なら遊ぶか?」
「はっ!?」
「玩具で」
「あ、あ、あ、遊ばないよっっっ!」
理樹は耳まで真っ赤になって、慌てて缶詰の蓋を閉める。
その様子に、俺は思わず眉間に皺を刻んだ。
「…ヤバいな」
「何がさっ」
「可愛い」
びくりと跳ねた身体を掴んで引き寄せる。よろける様に倒れこんできた理樹をソファに引きずり込んで、上に圧し掛かる。
大きく見開かれる理樹の黒瞳。
「ちょっ…恭介っ」
「ん?」
「い、いやいやっ!そんなさも当然のような顔してるけど、突然この状況っておかしいよね!?」
「おかしくねぇよ」
「だ、だって…いきなりこんなっ…」
「いいだろ?」
「――っ…、でもっ…」
真っ赤になりながら、理樹は口ごもる。駄目とは言わない所をみると、俺が仕掛けてくる事を予想ぐらいはしてたんだろう。
ずっと皆いたからな。触れたくても我慢してたのは事実だ。
理樹もその辺は察していたんだろうが、ま、素直にオーケーを出すのも恥ずかしいってトコか。
目元を赤く染めたまま視線を逸らしている理樹の頬を、そっと手で包む。
「こら理樹。素直にならないと――アレで遊ぶぞ?」
「なっ」
「それとも、――実は遊んでみたいのか」
俺が缶詰に視線を向けると同時に、理樹は頭が取れそうな勢いで首を左右に振った。
そうか。そいつは残念だ。ま、いいけどな。
「じゃあ、…アレで遊ぶのはまた今度にするか」
「うん――って、今度っ!?」
「折角のプレゼントだぜ?使わないと、あいつらにも悪いしな」
「いやいやいやっ」
焦る理樹に柔らかく口付けて、それ以上の戯言は塞いでしまう。いい加減、我慢できそうにない。
啄むように何度か軽くキスをしてやれば、理樹は頬を染めたまま、素直に目を瞑って俺に応え始めた。
小さな手が、おずおずと背中に回される。
「きょうすけ…」
舌足らずな声が、甘える様に俺を呼ぶ。
理樹の顔にふわりと浮かぶ幸せそうな笑みに思わず目を細めて、俺はまた理樹に口付ける。
そうやって二人で蕩けそうに甘いキスを交わしながら、ふと、同僚の言葉が脳裏によみがえった。
”明日は遅刻するな”――か。
ああ、勿論努力はするさ。努力はな?
あとがき
そういえば、これもとあるセリフを書きたいがために上がってきた話なんですよねぇ。
毎度のことながら、そこに行きつくまでが長いわけですが。
ラストとその直前の極悪展開は決定なので、そこにたどり着くのに、どう紆余曲折するか(寧ろ右往左往)、なんだよな…。
…長いな、先…(遠い目)。
で、結局おもちゃどうするんだろう、恭介(爆)→まぁその内、な…。