辺りは、暗闇。
”――理樹”
低いのに少し上擦ったような声がする。
まだ眠っている僕の上に、誰かが覆いかぶさって、ベットがキシリと音を立てる。
抵抗しようと伸ばした腕を掴まれて、シーツの上に縫いつけられた。うっすら開いた目に映る、間近に迫った端正な顔。
そこに光る赤い瞳の奥に、見え隠れする――情欲…。
そ、んな…ダメだよ。恭介っ…!
”理樹…”
ああでも、抵抗できない。きっと、…女の子だから、非力だから、それで抵抗出来ないんだ…――。
もういっそ、このまま――。
「――樹。理樹っ」
「っ!」
呼ぶ声にはっと目を見開く。
朝日の射しこむ部屋の中、見下してくる恭介は、既に制服姿。
…え、あれ?
「恭介?」
「どうした。寝ぼけてるのか?ほら、さっさと着替えろ。遅刻するぞ」
「う、ん…」
「じゃあ外で待ってるからな。……二度寝するなよ?」
ぼんやりしたままの僕に、そう釘を刺して恭介は部屋を出ていく。
ええと。――何か、すっごい恥ずかしい夢をみていたようなっ!?
不意に耳の奥に恭介の声が蘇って、一瞬で、ボンっと全身が茹で上がったみたいに熱くなる。
だ、だってさ…昨日恭介が押し倒したりするからっ…!それでこんな夢っ…。
勿論、結局何も無かったし、昨日の夜だって妙に緊張してたのは僕だけで、恭介は至って普通だったんだけど…。
…こうしてみると、やっぱり昨日のあれは演技だったんだろうなぁ。
ほっとしたような、残念なような……って残念って何さっ!
そ、それじゃぁまるで、ホントは襲われたかったみたいじゃないかっ。ないないっないからねっ!?
…落ち着こう。うん、僕と恭介は友達だ。それに僕は男だし。
そうだよね。昨日のだって、演技じゃなきゃ恭介が僕を押し倒すなんてありえないよ。
僕だって、こんな状態だから…手首を掴まれた位で動けなくなったんであって……。
「――」
恭介、力…強かったな…。
しなやかな手なのに、掴まれたら僕の力じゃ全然解けなかった。
上から見下ろしてくる目だって、いつもと全く違って。触れてくる手に、心臓が壊れそうな位鳴って――。
――はっ!いやいやいやっ何考えてるんだよっ僕は!
火照り始めた熱を冷ますように、両手で頬をペチペチと叩く。
昨日の出来事を頭の中から追い出し、それから差し迫った時間に気が付いて、慌てて服を着替えた。
待っていてくれた恭介と、二人並んで食堂へ向かう。道すがら花が咲くのは、いつものように他愛ない馬鹿話。
そんな常と変わらない恭介の様子に、何だか物凄く申し訳ない気持になってしまう。
うう、ごめんね、恭介。変な夢見たりして…。友情様ごめんなさい…。
その時不意に、向いから歩いてくる男子と肩がぶつかった。
ちょっと肩が触れた位だったのに、軽く頼りない身体は、容易くよろけてしまう。
「っと。大丈夫か」
すかさず恭介が、僕の腰を引き寄せるようにして支えてくれる。
「ごめん…」
「気を付けろよ?」
ポン、と頭の上に手を置かれる。覗きこんで来る優しい笑みと、僕を見つめる切れ長の赤い瞳に、思わず見とれ――。
心臓がどきんと鳴って、忽ち頬に熱が集まって来る。
わ、わ、わっ……!
どうしようっ…さっきから何でこんな、ドキドキしちゃってるんだろうっ!?
「どうした、理樹。どっか痛むのか?」
「な、何でもないよっ」
「――顔、少し赤いな。熱でもあるか?」
恭介の手が、無造作に頬に触れてくる。
「ひゃっ…」
思わず首を竦めると、恭介が驚いたように僕を見た。その視線が決まり悪くて、僕は顔を伏せる。
「どうした」
「や、あの…」
恭介に触られると…なんか変だ。こんな事今まで一度も――いや、実はあった気もするけど、でもたまにしかなかったのにっ!
早鐘を打つ心臓を押さえるように、胸元に手を当ててみる。
おかしいよ…何だろう、これ…。
「――恋、ですね」
「うわぁっ!?にに西園さんっ!?」
び、びっくりした…神出鬼没は来ヶ谷さんだけで十分だよ!
急に現れた西園さんは、ここ数日でデフォルト装備と化したデジカメを手に、したり顔で告げる。
「直枝さん、恋は恥ずかしい事ではありません。…素直に自分の心を認めて下さい」
「いやいや、何の話か分からないし」
「…そうですか、恭介さんの前では認め難いといった所ですか。――ですが直枝さん」
ふ、とまるで全てを達観したような笑みを浮かべる西園さん。
「それは、…恋ですよ?」
そう言い残して、去っていく。
「相変わらず、よく分からん奴だな」
「そうだね…」
ぼんやり西園さんの背を見送っていたら、不意に恭介が目を細めてこっちを見た。
「で、お前――誰かに恋でもしてるのか?」
「!?…し、してないよっ」
「はははっ!何だよイイじゃないか。で?誰だよ」
「してないってば」
「教えろって」
「恭介には絶対教えないっ」
「俺には――って事はやっぱり、誰か好きな奴がいるのか」
うわっ墓穴掘ったっ!?いやでも、ほんとに恋なんて――恋、なんて……。
「ん?どした」
恭介が顔を近づけてくる。だ、だから近過ぎだって…!
うわ、またドキドキしてきたんですけど!
まさか――西園さんの言った通り、恭介に……恋、とか……!
そっそんな訳ないよっ!身体は女でも心は男でっ…。だけどだけど、まさか心まで――女にっ…!?
「ちっ違うよっ違うからね!?」
「何だよ、いきなりどうした?」
「…な、――なんでもないっ」
「おい理樹っ!?」
これ以上、恭介の顔を見ていられなくて……僕は思わず恭介の前から逃げ出し――。
「待てよ理樹!」
って即追いつかれたしっ!?
いやまぁ、男の時だって恭介の足には敵わなかったしね……。そりゃそうか。
それでも諦めずに走り続けていたら、がしっと肩を掴まれた。
恭介にしてみれば、大して力を入れたつもりは無いだろうし、僕だって普段なら踏み止まるだけで済んだろうけど。
筋力のない女の子の身体じゃ、踏ん張りも効かない。
あっさり恭介の手に肩を持っていかれて、後ろに倒れ込みそうになる。
「おっと…!」
恭介が僕を抱きかかえようとして、そのまま二人で縺れ合うように転ぶ。
ううっ…最近こんなの多いなぁ。
やっぱり男と女じゃ勝手が違うから、上手くバランスが取れてないのかも。
「いてて…」
目を開けて――僕の上に覆い被さるように恭介の姿。
昨日の出来事が蘇って一瞬で頬に熱が集まる。しかも……恭介の、手が――。
「………」
「………」
二人で無言で見詰め合う。
うん、胸にね、手がね…またですかこの展開。何かもう、恭介に胸触られるの慣れてきたような。
ふよっ
――って揉んだっ!?揉んだっ!?ねぇ今揉んだよね恭介っ!?
ちょっとーー!?いやいやいやそこは慣れちゃ駄目っていうか恭介もやっちゃ駄目だからっでも恭介ならいいかなとかって何考えてるのさっだからこれは恋とかじゃなくてうわぁぁ助けて友情様ぁぁっ!?
昨日の事やら今朝の夢やら西園さんの恋宣言とやらがぐるぐる脳裏を駆け巡って――パニック。
激しい動悸と、どんどん上がる熱に、目の前までぐるぐる回りそうになった、その時。
「非常にうらやましい事をしているな、恭介氏」
「っ!」
神出鬼没の来ヶ谷さんの声。同時に恭介が、ばっと僕の上から退いた。
た、助かった…。
「…悪ぃ。大丈夫か?」
恭介が、どこかバツ悪そうな表情で僕に手を差し出してくる。その手に恐る恐る掴まって、引き起こして貰う。
でも、何だかバツ悪いのは僕も同じだ。心臓がまだドキドキ跳ねている。
きょ、恭介は…?
ちらりと伺い見ると、恭介も心なしか動揺しているような…。
う、何だろうこの気まずい空気っ…!
照れくさい、ような…。
「――ところで」
不意に来ヶ谷さんの冷静な声が、降ってくる。
「君たちは、一体いつまで手を繋いでいるんだ?」
ああっ!?
恭介とほぼ同時に、二人で手を振り離す。そんな僕らに、来ヶ谷さんの呆れたような視線が突き刺さって来る。
「なんというか…初々しいカップルのようだな」
「っ…い、いやいやっ…かかカップルって…!」
「ふむ。その初々しさが……えろい…」
「何でさっ」
「ふふふ…初々しく頬を染める理樹君の胸を、恭介氏が強引にモミモミし、抵抗出来なくなった所で下肢を割り開―――」
「うわわわー!されてないされてないっただちょっと揉ん…」
「こらこら理樹、載せられるな。来ヶ谷。俺達に何か用か?」
僕と違って、恭介はすぐに常の平静を取り戻す。
こういう切り替えの早さは、ほんと凄いなぁ。
来ヶ谷さんは、ちっと舌打ちしてから、腕を組んで僕らを見た。
「――朗報だ」
「え?」
朗報って…まさかっ!
はっと目を見開く僕に、来ヶ谷さんは心底残念そうに言った。
「田中とやらが、見つかったぞ」
あとがき
西園さんとの二人転びの王道イベントに被せてみた(笑)。
漸くと終わりそう…。スランプ気味が続いていて、どうもしっくりくる話が書けません…。
ホントは理樹が恋の感情を抱く話がもう一話ぐらいあったんですが…。
詰まってしまったので、うん、強引に話をもってきた…。なんて無理矢理な展開(笑)
まぁ最初三話で終わる予定でしたしねぇ。それに比べれば…。