食堂に行く途中で、廊下の壁に寄りかかって理樹が来るのを待つ。
日曜日だから、人はあまりいない。
…いや、まぁ、先に食堂に行っててもいいんだが。
一応、恋人、だしな…。
昨夜の、理樹との――ぎこちないキスが、脳裏を掠める。
「―――」
腕組みをして、天井を見上げる。何となく無意味に咳払いをしたりして。
「恭介っ…?」
驚いたような声に振向く。
そこに理樹がいた。俺は片手を挙げる。
「よっ」
「どうしたの?先に行ってれば良かったのに」
「まぁ、な」
そう言うな…俺の立場がないだろ。
理樹は隣に来ると、俺を見上げてはにかんだように笑った。
「えっと…でも、待っててくれたのは、嬉しいかな…」
「――そっか」
「うん」
なんともいえない微妙な空気が流れる。
少しの沈黙の後、俺は理樹の手を掴んで、歩き出した。
「っておいこら俺は無視かよっ!」
「何だ、いたのか真人」
「って存在すら気付かれてねぇぇ!?俺の筋肉はそんな薄い存在なのかよぉぉっ!?」
叫びだす真人に、理樹が慌ててフォローを入れる。
「そ、そんな事ないよっ!ほら、真人の筋肉は分厚いしっ皆振り返るって!」
「そうか?ま、そんならいいや。けど、俺は理樹に気付かれてりゃそれでいいけどよ」
「うんうん。大丈夫。僕はいつでも気付くから」
…何でか微妙にむかつくな…この会話…。
「――理樹」
名前を呼んで、ぐっと自分の方に引き寄せる。理樹はきょとんと俺を見る。
「何?」
「飯、食いにいくんだろ?」
「え…うん…」
「さっさと行くぞ」
問答無用で歩き出す。真人は別に気にした風もない。
まぁ、こいつに悪意が無い事は分かってる。理樹への好意も――いやちょっと待て。
こいつ…よく考えたら、普通に理樹の事が好きなんじゃないか?
思わずちらりと真人を見遣る。
「なんだよ、恭介?筋肉分けて欲しいのか?」
「いらん」
相変わらず見当違いな発言をかます真人。そこへ謙吾が現れる。
「お早う」
それに理樹が笑顔で答える。
「お早う、謙吾」
「――ああ」
謙吾…お前、理樹と話すときはやけに優しいよな…。
仏頂面に笑みまで載せて…。
理樹も笑い返すな。
――って、俺は何を苛ついてるんだ…?
別に、今までと同じだろ。変わったことなんてない。いつもと同じメンバーで、いつもと同じやり取りだ。
なのに――。
「恭介?」
理樹が俺の顔を覗き込む。そして、俺の額に指を伸ばして押し付けた。
「眉間に皺、寄ってるよ?」
解すように何度か眉間を擦り――その状態で理樹と俺の目が合う。途端、理樹の頬がさっと赤く染まった。
見つめ合ったまま、二人で動けなくなる。
そこへ助け舟のように、ちりんと音が響く。
「――何やってるんだ、お前ら」
「お、お早う鈴!」
ぱっと理樹が俺から視線を離して鈴の方を向く。
よくやった、妹よ。取り敢えずは助かった。そう思ったのも束の間。
鈴は訝しげに俺達を眺め、そしてその目が俺と理樹の間で止まる。
鈴の視線を追うと――俺達は手を繋いだままだった。
「うわあ!?」
理樹が声を上げて俺から手を離す。……理樹、それはちょっと傷つくぞ…?
赤くなる理樹と、なんとも反応できない俺に、まず謙吾が眉を潜めた。
「――何かあったのか、お前達」
「……。まぁ、それなりにな」
適当に濁しておく。
理樹のこの反応から考えて、ま、暫くは今まで通りでいた方が良さそうだ。
そう思ってから、少し混乱する。
――いや、別に、今まで通りだろ?
今までだって一応は付き合ってる事になってた訳だしな。
寧ろ、周りと俺達自身の認識が合致するようになった分、今までより自然になるはずだ。
突然何かが変わるわけじゃない――はずだ。
……そりゃあ、確かに昨日…。
ふと理樹を見下ろし、その唇に目が吸い寄せられる。
薄紅色の柔らかそうな、小さな唇。
「――」
……さて、今日の朝飯は何にしようか。ああ、やっぱ朝は焼き魚に味噌汁だよな。
オーケー。俺は冷静だ。勿論そうだ。
ん?食堂の天井ってのはこんな模様だったのか。初めて知ったぜ。
「きょーすけ」
「何だ、鈴」
「お前、おかしい」
「ぐっ…」
鈴は、警戒する猫のように俺の周りをグルグルまわる。
「さっきから、変だ。固まったり、いきなり天井向いたり…」
つぶやきながら、今度は理樹を振り返る。
「理樹もおかしい」
「えっ…!」
「さっき、きょーすけ見て赤くなってた」
「そ、それはっ…その…」
「もしかしてお前ら…」
鈴が目を見開く。
と言ってもまぁ鈴だかなら、そう大した思いつきでもないだろう。
「いっせん越えたのか!」
「お前そんな言葉どこで覚えた!?」
兄ちゃん教えて無いぞ!?
「くるがやとみおが言ってた」
あいつらっ…!人の妹を何の道に引き込む気だ!?
鈴は、だが笑顔で腕を組む。
「大丈夫だ、お前ら。せけんの目が冷たくても、あたしはお前らを見捨てないからな」
で、俺はその言葉に感動すべきなのか?どうなんだ?
因みに、隣の理樹は、可哀想なほどうろたえている。
「い、一線って…!?ち、違うよ!?違うからね、鈴!?」
「何だ、違うのか?」
きょとんとしてから、鈴は俺を見上げてくる。
「きょーすけ。違うのか?」
「ああ、違う」
「まだなのか?」
「ああ、まだだ」
「ほほおおおぅ!”まだ”ときたか」
「く、来ヶ谷っ…!」
いつの間に――!
突如背後から首を突き出した来ヶ谷は、含みのある笑顔で俺と理樹を見る。
「ふふ…。私の気配に気付かないとは、恭介氏らしくもない。くっくっく…そうか。まだ、か」
その隣に西園が現れる。
「…”まだ”、ですか。…いい傾向です…!」
「まだなのですかー!」
「そっかぁ。まだなんだねぇ」
更に能美と小毬。ま、こいつらは意味が分かってるか怪しいもんだが。
そして最後に現れた三枝が、にやりと邪悪に含み笑い。
「へっへっへ…とんだ失言!デスネ。恭介の旦那」
「――。お前ら、楽しいか…?」
「「「「すっごく!!」」」」
全員でハモリやがった…。
理樹が、心配そうに俺の眉間の皺を見ている。
来ヶ谷は実に楽しそうに、俺の前で理樹へと身を寄せた。
「それで?どうなんだ、どこまで行った?少年」
「ど、どこも行ってないよっ」
焦る理樹に、来ヶ谷が更に迫る。
「ほらほら、言わないか」
「や、やめてよ来ヶ谷さんっ」
「可愛いなぁ、少年。いっそ恭介氏なんぞ止めて私にしないか?」
「ちょっ…やめ!」
「そこまで!」
俺は、強引に理樹から来ヶ谷を引き剥がす。
来ヶ谷は、少し驚いたように俺を見た。
まぁ確かに、今までなら――特に気にせず容認していた程度の接触だ。
……?
何だ、どうして今――。
そう思ったとき。
「何だ、焼きもちかよ、恭介」
さらりと真人に言われて、俺は言葉に詰まった。
――そうか。やきもち、か…。
隣の理樹が驚いたように俺を見て、それからぶんぶんと首を左右に振った。
「そんな訳ないからっ」
否定する理樹の、手首を掴む。
「理樹」
「な、何?」
「ちょっと、いいか?」
理樹が頷く前に、手を引いてその場を離れる。
残りのメンバーは呆気に取られていたが、構わず理樹を連れて行く。
「ちょっ…どうしたのさ、恭介?」
「まぁ、ちょっとな」
建物の奥へと足を進める。
廊下を曲がった先は非常口。当然の事ながら人気はない。
困惑している理樹を、俺は抱き寄せた。
腕の中に納まる華奢な身体。
「っ…恭介…!?」
「…黙ってろ」
囁いて、俺は理樹の髪に顔を埋める。いい匂いがした。
人間の欲望なんてのは、計り知れない。
親友でよかった筈なのに、許されれば触れたくなって。触れれば、もっと欲しくなる。
自分だけのものにしたくなって、他人に見せる事すら惜しくなる。
「――悪い」
「も、どうしたのさ、恭介」
「妬いた…」
「…は!?」
「だから、多分…妬いた」
「た、多分って…何さ…」
「さぁ……何だろうな」
俺は、理樹を抱き締めて――胸に満ちる幸福感に、目を細めていた。
本当は、全員の前で抱き締めたかった所だが、それは理樹が嫌がるだろう。
まぁでも…そのうちに、な?
腕の中の理樹を見下ろすと、ほんのり桜色に染まる頬と、――小さな唇が目に入る。
「ね、恭介。もう皆のトコ戻らないと」
「ああ。じゃあ、これだけな?」
言って、素早く理樹の唇を奪う。軽く、掠めるだけのキス。
「きょっ恭介っ…」
「よし、じゃあ行くか」
理樹の身体を解放してやる。だが、その腕を理樹が掴んだ。
「どうした?」
「あ、あのっ…」
「ん?」
「え、えっと…」
視線をあたりに彷徨わせてから、理樹は背伸びをして、ぐっと俺の腕を引っ張った。
頬に――柔らかい物が押し付けられる。
「ぼ…僕も、これだけっ…!」
耳まで真っ赤になった理樹は、それだけ言うと、走って逃げていった。
残された俺は、理樹の触れた箇所に手を当てて――。
取り合えず……顔の赤みが引くまで、ここにいようと思った。
あとがき
何だこの初々しい馬鹿ップル……!や、私の中で恭介は、基本自分の感情にめっちゃ素直なので。嫉妬とかも素直に言って、逆にその感情を楽しんでそうな気もします。
寧ろ理樹の方が、照れたり嫉妬しても隠したり。理樹、実はツンデレ系ですか(笑)
けどええまぁ、最初なので温く純情に…。段々エロくなってきますで…ご注意ください…。
多分恭介が…とっっっっても自分に正直になってきますので……。
つーか蜜月ってほんとは結婚後の親密関係って意味なんですが、まあ…甘い日々って事で(笑)